2017-10-15

2017/10/14ギーター第2章勉強会③

ナマステー♪
千葉市中央区のヨガ教室 ギーターヨーガ主宰やのちさとです^^

今日はश्रेयस् (シュレーヤス)という言葉について深めました。
श्रेयस् (シュレーヤス)は「良い」という意味で、比較上のश्रेयस् (シュレーヤス)と、絶対的なश्रेयस् (シュレーヤス)があります。

比較上の良いこと、望ましいことは場所(デーシャ)、時間(カーラ)、状況(ニミッタ)によって決められ、いつも同じように適していいるわけではなく変化し続けます。

例えばサッテャム(嘘をつかないこと)は大切な価値ではありますが、誰かのために、傷つけることを避けるために優しい嘘をつくことを選ぶことがあるかもしれません。

道徳と価値、ダルマシャーストラでさえも、その時に応じて解釈されることが望ましいのです。
これが比較上のश्रेयस् (シュレーヤス)です。

一方、絶対的なश्रेयस् (シュレーヤス)とはモークシャ、完全な自己受容です。
全ての人が、人生で求めるものはこの、自己受容された自分自身だけであることを、ギーター全体を通して教えられます。

ドゥルヨーダナが王国を欲しがった時、彼は自己受容だけが欲しかったのです。彼は自分自身を受け入れられる人として見たかったのです。
でも、もし身体が自己受容を持つベースにあるものだとしたら、私たちは問題を抱えます。
身体は変化し、同じであり続けないからです。

自分自身とは全体です。
真実において自分自身以外の何もありません。
これがシュレーヤスという言葉の意味として、シャーストラで展開される宇宙観です。

सञ्जयः 1/1 उवाच III/1 

एवम् 0 उक्त्वा 0 हृषीकेशम् 2/1 गुडाकेशः 1/1 परन्तपः 1/1 ।

 0 योत्स्ये I/1 इति 0 गोविन्दम् 2/1 उक्त्वा 0 तूष्णीम् 0 बभूव III/1 ह 0 ॥२.९॥

サンジャヤ言う

この様にクリシュナ神に話した後”敵を焼き尽す者・眠りを克服した者”と称されるアルジュナは

このようにゴーヴィンダに話し「私は戦いません」と黙り込んでしまいました

ギーターはモークシャ・シャーストラ、悲しみを打ち砕くための教えの体系です。
「私は本当に悲しいのか?」と自問自答すれば、ギーターを読むことになります。
ギーターがその答えになるからです。

その答えは、私たちが考えた末に分かるような何かではなく、認識、理解されるべきことで、特別な状況や、経験ではないのです。

幸せと悲しみの経験は「今、私は悲しい」「今、私は幸せ」というようにそれぞれ交互にあります。

幸せとはやってくるもので、悲しみというのが人間であるかのようです。
しかし、私たちは、自分自身とは悲しいものであるのかどうか、悲しみとは何かを理解しなければなりません。
この洞察は「私は私自身を正しく見ているか?」という疑問にまでさかのぼることができます。

実際悲しみというのは、分裂していないあるがままの人であることなしには、起こりません。
アルジュナは分裂していないあるがままの人となりました。
解決の可能性を見つけて、彼の考えの中には嵐の後の静けさがありました。

次回の勉強会は11月04日(土)11:20~12:50です
今日もありがとうございました。

 

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