2017-12-09

2017/12/09ギーター第2章勉強会⑥

ナマステー♪
千葉市中央区のヨガ教室 ギーターヨーガ主宰やのちさとです^^

バガヴァーンの教えが続いています。

 0 तु 0 एव 0 अहम् 1/1 जातु 0 न 0 आसम् I/1 न 0 त्वम् 1/1 न 0 इमे 1/3 जनाधिपाः1/3 ।

 0 च 0 एव 0 न 0 भविष्यामः I/3 सर्वे 1/3 वयम् 1/3 अतः 0 परम् 1/1 ॥२.१२॥

私も あなたも 王たちも存在しなかったことはなく 未来においても 存在しなくなることは決してない(2-12)

 

クリシュナは、わたしが生まれるという観念を、二重否定を使い否定します。

ギーターの宇宙観に、わたしの誕生というものはなく、わたしは生まれません。わたしは「まるで」生まれました。

わたしは現在、過去、未来において存在し続けます。

更にシャンカラは解説の最後の行で重要な意見を述べます。

देह भेद अनुवृत्त्या बहुवचनं न आत्मभेद-अभिप्रायेण

「ここで複数系を使っているのは、様々なたくさんの体に関してで、唯一のわたしに関してではない」と。

形、つまりウパーディはたくさんあるので、たくさんの人々がいます。

けれどもアートマーは、時間に捕らわれていない、一つの全体としてある意識、チャイタンニャです。

必要なことは、アートマーとアナートマーについての正しい理解です。

どちらも悲しむものではありません。

次の詩でクリシュナは、「アートマーがいつも同じで決して変わらないこと」をアルジュナの理解を助けるために例を与えます。

देहिनः 6/1 अस्मिन् 7/1 यथा 0 देहे 7/1 कौमारम् 1/1 यौवनम् 1/1 जरा 1/1 ।

तथा 0 देहान्तरप्राप्तिः 1/1 धीरः 1/1 तत्र 0 न 0 मुह्यति III/1 ॥२.१३॥

ちょうど肉体に宿る者ジーヴァに 子供時代・青年期・老年期があるよう また別の体を得るが それに関して賢者は嘆かない(2-13)

 

子供時代が終わる時、その体に住む人は生き残りますか?

それぞれの状態は訪れては去りますが、「わたし」は同じなままです。

知られていようと、知られていまいと、今世の3歳までや、過去世に関しても「わたし」は同じです。

「わたし」の視点から見ると、自らが消滅するということからの悲しみの理由がありません。

ジーヴァの視点から見ても同じです。

わたしが、いつかいなくなってしまうという錯覚の状態に陥る理由がありますか?

ジーヴァは身体を持とうと、持つまいと在りつづけます。

ジーヴァとして新しい体を手に入れることは、よりよい新しい出発をあなたに与えてくれます。

更にクリシュナは言います。

मात्रास्पर्शाः 1/3 तु 0 कौन्तेय 8/1 शीतोष्णसुखदुःखदाः 1/3 ।

आगमापयिनः 1/3 अनित्याः 1/3 तान् 2/3 तितिक्षस्व II/1 भारत 8/1 ॥२.१४॥

クンティの息子よ 感覚と世界の接触は 寒暑 苦楽を引き起こし 来ては去る性質で不変ではない それらを理解して受け入れよ バラタの子孫よ(2-14)

 

クリシュナはここで、感覚器官が捉える世界の本質について話しました。

感覚器官・マートラーは、その対象物と接触を持ちます。

これらの接触・スパルシャーは、寒暑 苦楽などの経験をわたしたちに与えます。

心地よい晴れた日のような状況をわたしたちは望むかもしれませんが、同時に雨を求めてそれを祈っている人々がいます。

これらが苦楽を起こしていると思われるわたしたちの反応であり、全ては感覚器官とそれが捉えるものの接触によります。

そして、肉体は物理的な世界に属しているので、世界はあなたに何かの肉体的な苦しみを引き起こすことができます。

物理的な痛みは、耐えられなければならないもので、癒されるべきものですが、悲しみはわたしたちが作り上げているものです。

クリシュナは接触を避けるべきだとは言わず、それを理解する必要があると言いました。

「アルジュナよ 全ての状況を起こるがままに ユーモアのセンスを持って難なく切り抜けなさい」と。

次回は12月16日(土)11:20~12:50 15番目の詩から読み進めていきましょう。

最後までありがとうございました。

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