2018-01-07

2018/01/06ギーター第2章勉強会⑧

ナマステー♪
千葉市中央区のヨガ教室 ギーターヨーガ主宰やのちさとです^^

 0 असतः 6/1 विद्यते III/1 भावः 1/1 न 0 अभावः 1/1 विद्यते III/1 सतः 6/1 ।

उभयोः 6/2 अपि 0 दृष्टः 1/1 अन्तः 1/1 तु 0 अनयोः 6/2 तत्त्वदर्शिभिः 3/3 ॥२.१६ ॥

存在のないもの(ミッテャー)にとって、どんな存在もない

存在(サッテャム)にとって、存在がないことなどない

これら両方の真実が、真の宇宙観を得た賢者たちに知られている(2-16)

 

わたしは、決してわたしを体験することができません。
体験することができるものは、わたしが捉えることができるものです。

「在る」という認識はいつもあり、同じ場所に「ものが在る」という認識が移り変わります。
いつもこの2つの認識があります。

在る認識=サトブッディ・सत्-बुद्धि

もの認識=アサトブッディ・असत्-बुद्धि

 

サトブッディは、ある特定の名前と形によって条件付けされます。

ポットが壊れた時、その名前と形はなくなりますが、サトブッディはなくなりません。
それは、なにかと繋がるためにあります。
サトブッディは、壊れたポットに繋がることができます。

壊れたポットが「在る」
あるいは、何か他のものが「在る」
アサト(ミッテャー)だけが変わりつづけます。

あなたは同じ人でとどまっているけれども、あなたによって観られる様々なものは変わりつづけます。
その「在る」、つまり存在はとどまります。
それは、決してどこかにいってしまいません。

もし、教えのこの側面が明らかでなければ、あなたはアートマー(私自身)、つまりサットヴァストゥはゼロであると結論付けてしまうでしょう。

アートマーだけがあります。

そして、他の全てのものは、そのサトブッディへの単なる付加である、名前と形(ナーマ・ルーパ)です。

この詩のシャンカラ先生の解説は次回も続きます。
次回の勉強会は、1月13日(土)11:20~12:50です。
最後までありがとうございました!

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