2018-06-16

2018/06/16ギーター第2章勉強会⑲

ナマステー♪
千葉市中央区のヨガ教室 ギーターヨーガ主宰やのちさとです^^

6/16の勉強会ではギーター第2章24番目の詩を読み進めていきました。

 

अच्छेद्यः 1/1 अयम् 1/1 अदाह्यः 1/1 अयम् 1/1 अक्लेद्यः 1/1 अशोष्यः 1/1 एव 0 च 0 ।

नित्यः 1/1 सर्वगतः 1/1 स्थाणुः 1/1 अचलः 1/1 अयम् 1/1 सनातनः 1/1॥२४॥

これ(自分自身)は切られたり、燃やされたり、濡らされたり、乾かされたりする事は出来ません。それは変化せず全てに行き渡り、安定して、不動で、永遠です。[24

この詩の中のアヤム(अयम् )という言葉は存在しないアートマー、シューンニャ(शून्य )ではなくスヴァタ・シッダ(स्वतःसिद्ध)自分自身で明らかで、自分自身で存在するアートマーのことを言っています。

自分自身で明らかというのは、その存在を証明するために、知識を得る為の道具・プラマーナを何も必要としないものを意味しています。

存在しないものを理解する為ですら、アヌパラプディ・プラマーナを使う為に、存在する何者かを必要とします。

例えば私の手の中にポットがない事を知るために、知覚と知覚を使う人が必要です。

推理もまた、推理を使う人が前提条件で、それを使う誰かが必要です。
私が手に孔雀の羽根持っていて、それを孔雀の羽根だと言う為には、知識の道具、つまり自身の知覚と、孔雀の羽根ヴルッティが必要です。

肉体が、昨日と同じではないと知覚する為ですら、知覚を得る道具が必要です。
お腹や腰が痛い、これは純粋に自身の経験なので、整形外科医ですら痛みがあるかどうかを言う事は出来ません。

私だけが目撃者(直接捉えている者)です。目撃者の知覚、サークシー・プラッテャクシャは、感覚器官を必要としない、別の種類の知覚ですが、これも知覚です。

同様に考えも、何かを忘れてしまったと知る事ですら知覚で、私が直接捉えています。

私は知識の道具を持っているので、全てが私に明らかです。
そしてそれら全ての前に私は存在しています。
私が存在するので見たり聞いたりすることが出来、私が存在するので全ての知識が可能です。

1つのもの、アートマーだけが自分自身で明らかです。
ですからここで、アヤム(अयम् )はどの様な破壊の対象でもないもの、アッチェーデャ(अच्छेद्यः )を示すとして重要な言葉です。

アートマーはゼロ、シューンニャではないのです。

アートマーは全ての存在で、自分自身で存在していて、燃やされず(अदाह्यः)、濡らされず(अक्लेद्यः )、乾かされません (अशोष्यः)。それはニッテャ(नित्यः)、時間に捕らわれていません。サルヴァガタ(सर्वगतः)、行き渡っています。

アートマーはスターヌ(स्थाणुः)、動かないし、いつも同じです。木の様に1つの場所に留まっているが、揺れているのだろうと考える人がいるかもしれませんが、木の様に揺れたりしない、アチャラ(अचलः)です。

更にクリシュナはアートマーをいつもあり続けるもの(सनातनः)で、それは、ある力や原因により存在をもたらされたのではなく、どんな方法でも影響されず、いつも同じで、いつも新鮮で、いつも新しいものと述べます。

この様にアートマーを知ることで、私はどの様な悲しみも抱く必要がありません。

「あなたは何故アナートマーの為に鳴くのですか?」
「アルジュナよ、何にあなたは悲しむのですか?」
クリシュナは尋ねます。

アナートマーは、いつも変わり続けるアニッテャです。アナートマーはいつも過ぎ去ってしまうもので、それを止めたくても、止める事は出来ません。

一方アートマーはニッテャで、それを破壊する方法がありません。

クリシュナは言います。
「悲しみの余地など全くありません。為されるべき何かがあるだけです。それをしなさい!」

次回の勉強会は7月7日(土)11:20~12:50
今日少し読み進めた、25番目の詩から再度読み進めていきましょう。

最後までありがとうございました!

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