【ギーター】第2章10~11番目の詩
2017/11/04
तमुवाच हृषीकेशः प्रहसन्निव भारत ।
tam uvāca hṛṣīkeśaḥ prahasan iva bhārata |
सेनयोरुभयोर्मध्ये विषीदन्तमिदं वचः ॥२.१०॥
senayor ubhayor madhye viṣīdantam idaṃ vacaḥ ||2.10||
サンジャヤ言う
バーラタ一族の子孫である王(ドゥリタラーシュトラ)よ
両軍の間で悲しみに沈む
彼(アルジュナ)に向かってクリシュナは
まるで笑うかのように語りました
–
クリシュナは理由はどうであれ
微笑んでいました。
教えようとしている知識は
不愉快な知識ではなく
「何が何たるか」ですから
ずっと微笑みと笑いがありました。
馬車を静かな所へ動かすわけでもなく
戦場の真っ只中に置いたままでした。
この学びに特別な時間や場所は
必要ありません。
誰が学んでいるのか?
そして、誰が教えているのか?
そこが重要です。
アルジュナの様に、教えを聞く為の平静さ
クリシュナの様に、戦場の騒音の中でも
話せるという平静さが必要なのです。
श्रीभगवानुवाच
śrībhagavān uvāca
अशोच्यानन्वशोचस्त्वं प्रज्ञावादांश्च भाषसे ।
aśocyān anvaśocas tvaṃ prajñāvādān ca bhāṣase |
गतासूनगतासूंश्च नानुशोचन्ति पण्डिताः ॥२.११॥
gatāsūn agatāsūn ca na anuśocanti paṇḍitāḥ ||2.11||
バガヴァーン言う
あなたは博識なことを話しているが
悲しむべきでないことを嘆いている
知識を得た者は、生きている者にも
息を引き取った人のためにも悲しまない
–
ギーターは、悲しみ[ショーカ]を
取り除くシャーストラです。
悲しみとは、あらゆる不平不満を意味し
落ち着きのなさも悲しみです。
自分の中心にある悲しみは
純粋に無知な子供達です。
多くの人は、逃避したりして
安心を探したりしますが
アルジュナは、きっぱりと永遠に
悲しみを解決したかったのです。
「アルジュナ、あなたは不必要に悲しんでいる」
と、クリシュナは言いました。
私たちも肩ごしに
クリシュナに話しかけられています。
知識を持つ人[パンディタ]は
どんな悲しみにも嘆かないと
アルジュナに言いました。
悲しみを引き起こす2つの原因が考えられます。
私の本質[アートマー]
私以外のもの[アナートマー]です。
悲しみの原因は、アートマーか?アナートマーか?
それを分析する必要があります。
パンディタは、アートマーとアナートマーを
知っている人です。
私がアートマーを知れば
当然アナートマーも知ります。
アートマーでないものが、アナートマーです。
アルジュナの悲しみは
アートマーとアナートマーの違い
それを知らない為にありました。
これがギーターの主題です。
自分自身を知ることで
パンディタの様に悲しみません。
アートマーもアナートマーも
悲しみの原因ではないのです。