千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

ヨガ 勉強会  個人レッスン・出張ヨガ 私について ブログ アクセス スケジュール・予約 お問い合わせ

【ギーター】第2章14~15番目の詩

मात्रास्पर्शास्तु कौन्तेय शीतोष्णसुखदुःखदाः ।

mātrāsparśās tu kaunteya śīta-uṣṇa-sukha-duḥkhadāḥ |

आगमापायिनोऽनित्यास्तांस्तितिक्षस्व भारत ॥२.१४॥

āgamāpāyino anityās tān titikṣasva bhārata ||2.14||

クンティの息子よ 感覚と世界の接触は、 寒暑、苦楽を引き起こし

来ては去る性質で不変ではない。それらを理解して受け入れよ、バラタの子孫よ[2-14]

-

クリシュナは、感覚器官が捉える 世界について話しました。

感覚器官[マートラー]は 世界と接触を持ちます。

これらの接触[スパルシャー]は 寒暑、苦楽などの経験を与えます。

私が、心地良い晴れの日を望むとしても 同時に雨を求め祈る人々がいます。

苦楽を起こすのは、反応であり、全ては感覚器官と世界の接触です。

肉体は物理的な世界に属し、世界は、何かの肉体的な痛みを引き起こします。

物理的な痛みは 受け入れられ、癒されるべきものですが、 悲しみは、自分で作り上げているものです。

クリシュナは「世界との接触を避けなさい」と言わず、「受け入れ、理解しなさい [ティティクシャッスヴァ]」と言いました。

全ての状況を起こるままに ユーモアのセンスで難なく切り抜けなさいと。

リアリティの種類の混乱から起こる ある種の「かたまり」があります。

考え・感覚器官・肉体は、類するリアリティで、アートマーとは、別のリアリティの種類です。

悲しいという時、まるで考えと同じリアリティの秩序に、アートマーが属しているかの様に、悲しみの中にアートマーを巻き込みます。

アートマーがアナートマーに、 沢山の中の1つにされてしまいます。

アートマーは、それらどの様なものでもなく、悲しみは、アートマーがなくてはあり得ません。

悲しみがある時は、アートマーが何かしら巻き込まれています。

無知がアートマーに悲しみを負わします。

世界とは何か?その状況とは何か?

それを理解する、客観的な人に 悲しむ理由はありません[アショーチャ]。

行動を起こす状況がただあるだけです。

favicon

यं हि न व्यथयन्त्येते पुरुषं पुरुषर्षभ ।

yaṃ hi na vyathayanti ete puruṣaṃ puruṣarṣabha |

समदुःखसुखं धीरं सोऽमृतत्वाय कल्पते ॥२.१५॥

samaduḥkhasukhaṃ dhīraṃ saḥ amṛtatvāya kalpate ||2.15||

人間の中で一際目立つ人よ 苦楽を同じに見て それに影響されず

見極める能力がある人は 自由を得るに値します[2-15]

-

アルジュナは、雄牛[ルシャバ]だと呼ばれました。

雄牛の背中のコブは、一際目立ちます。

アルジュナは人間[プルシャ]の中でも 高貴で、高く評価された人でした。

アートマーの知識を持つ人[ディーラ]は 対極のものに同じに留まります。

苦楽がその人に影響を及ぼしません。

死、すなわち移り変わること[アムルタットヴァ] から自由です。

11番目の詩~15番目の詩で 知識を得るに相応しい人[アディカーリー]が クリシュナによって語られました。