千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第2章18番目の詩①

अविनाशि तु तद्विद्धि येन सर्वमिदं ततम् ।

avināśi tu tadviddhi yena sarvamidaṃ tatam |

विनाशमव्ययस्यास्य न कश्चित्कर्तुमर्हति॥२.१७॥

vināśamavyayasyāsya na kaścitkartumarhati||2.17||

永遠不滅で、プラマーナで知られず、体を支える人にとって 

その支える体は終わりあるもの、故にバラタの子孫よ 戦え![2-18]

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わたし[アートマー]は、イーシュワラでさえも滅ぼす事は出来ない、サットヴァストゥが明らかとなりましたが、ここでまた、疑問が生じます。

Q1.全ての物が、サットに頼るなら、頼っているアサットは、サットと同じ質、真実になりませんか?

(夫婦がよく似るように、一緒にいつもあるものは、性質が移るのではないでしょうか?)

A.いいえ、サットとアサットには、関係がありません(2つの分かれたものではない)。

土と器は関わりはありませんが、器と器の様にある種の経験出来るリアリティー[ヴャーヴァハーリカ・ミッテャー]があります。

同じリアリティーに属するものであれば、関わり合うことができ、1つがもう1つに属性を与える事が出来ます。

私達は、考えに移る世界を「事実」と見ますが、よく見ればその認識は、3つのレヴェルのリアリティーからなる認識です。

◎3つのリアリティー

1.主観的なリアリティー[プラーティバーシカ]

2.客観的なリアリティー[ヴャーヴァハーリカ]

3.これらを支えるリアリティー[パーラマールティカ]

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土と器の間に関わりがない様に、サットとア・サットの間には、関わり[ヴャーヴァハーリカ]がありません。

そこには、ただ土が、つまり存在[サット]があるだけです。

あなたが「これは体です」と言う時、正確に言うとそれは何ですか?

骨格ですか?皮膚ですか?肉ですか?血液ですか?細胞ですか?DNAですか?

体と呼べるものは何1つなく、それら全が合わさったものが体です。

また別の方法で見るなら、鉱物やカルシウムやリンに他ならず、それぞれの構成要素が、多くの他のものに頼っているので、肉体はア・サットです。

ヴェーダーンタのモデルでは、5つの要素「空間、風、火、水、土」です。

どの様に肉体を見ようとも、それはア・サットです。

この詩で3つの事実が伝えられました。

「肉体は無数で、わたしは1つである」

「わたしに終わりはなく、全ての体の後ろに”在る”」

「滅ぼされ得ないということ」

いつも存在するわたしが、アートマーです。

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クリシュナ神は、「すべきことをしなさい、戦いなさい」と言いました。

アルジュナがすべきことは、この世界の秩序[ダルマ]を守ることでした。

比較上の意味の破壊と、完全な破壊、2つの破壊[ナーシャ]があり得ます。

同様に、比較上と絶対的な永遠があり、この詩で使われている、永遠[ニッテャ]と、破壊されないもの[アナーシー]は、死や時間から絶対的に自由なものを意味しています。

知られる事がないもの[ア・プラメーヤ]という、もう1つ別の形容詞が使われます。

◎知る[プラマー(प्र + मा pra + mā)]

1.知る主体[プラマートゥル(प्रमातृ pramātṛ)]

2.知られる対象[プラメーヤ(प्रमेय prameya)]

3.知る手段[プラマーナ(प्रमान pramāna)]

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◎知る手段[プラマーナ]

1.知覚(5つの感覚器官)

①五感[プラッティヤクシャ]

②サークシー・プラッテャクシャ(空腹感etc)

2.知覚から得たデータが元

①推理[アヌマーナ]

②推測[アルターパッティ]

③例え話[ウパマーナ]

④無いことの理解[アヌパラブディ]

⑤言葉[シャブダ]

a. 人の思考からの言葉[パウルシェーヤ]

b. 人の思考からではない言葉[アパウルシェーヤ]

プラマーナの条件

1.他のプラマーナと相反してはならない[अबाधितम्]

目の前の器が2つに見えるが、触ったら1つ、視覚と触覚が相反している。

視覚プラマーナである視覚の欠陥を、メガネなどで補正する必要がある。

2.他のプラマーナとかぶらない [अनधिगतम्]

目は、色・形を明かすもの、耳は、音を明かすもの、それぞれのエリアでそれぞれのプラマーナがある。

3.プラマーナを使う人にメリットをもたらす[फलवत्त्वम्]

これは、言葉[シャブダ]・プラマーナの必要条件。

聞き手の役に立つ新しい情報を提供するものであること。

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どの様な、知られる対象[プラメーヤ]も永遠ではありません[ア・ニッテャ]。

知られる物、見られる物は全て、ただ時間と空間の枠の中にあります。

土で出来た器は、わたしに見られる物、それは、毎秒変化し、決して同じものでありません。

時間は、変化をもたらす要素なのです。

わたしは、知る対象になり得ません。

わたし[アートマー]が知る対象ではないのに、なぜ、わたしを知る為に学ぶのでしょう?