2018-05-07

【ギーター】第2章21番目の詩②

2018/05/05

वेदाविनाशिनं नित्यं य एनमजमव्ययम् ।

vedāvināśinaṃ nityaṃ ya enamajamavyayam |

कथं स पुरुषः पार्थ कं घातयति हन्ति कम् ॥२.२१॥

kathaṃ sa puruṣaḥ pārtha kaṃ ghātayati hanti kam ||2.21||

プルターの息子よ。これ(自分自身)を不滅で、時間に捕らわれず

生まれないもの、そして老いないものと知っている人が

どのように、誰を殺しますか?

また、殺すことを強いるのですか?[2-21]

もしアートマーが行い手[カルター]なら

常にカルターでなければなりません。

それがアートマーの本質なら、行いをする人として

いつも何かをしているべきですが、そうでありません。

あなたは時々、後ろに退いて

全く何もせずただ体験をします。

経験する人という状態[ボークトゥルットヴァ]だけを見て

行いをする人という状態[カルットゥルットヴァ]は見ません。

同様にもし、経験する人という状態が

アートマーの本質であるなら

アートマーはいつも体験する人[ボークター]でしょう。

この様にアートマーは

カルターでもボークターでもありません。

また、行いをする人も、体験をする人もいない時

”私という感覚”が全くない時もあります。

例えば、2つの考えの間の様に

私という観念[アハンカーラ]がありません。

私はどの様に「私は行いをする人ではない」

という知識を得ることができるのでしょうか?

私はアカルトゥル・アートマーを見ることが出来ません。

アートマーの知識は、主体そのものについての

無知を取り除くものです。

自分自身についての無知がある

それを認識している人がいて

その事を認識している人だけが

無知を取り除くことができます。

この知識が「私は行いをする人ではない」です。

この考え[ヴルッディ]が自分自身についての

無知を滅ぼすことができます。

その真実についての無知は、教え[ウパデーシャ]

もたらされる考え[ヴルッティ]によって取り除かれます。

そのヴルッティは、その仕事を終えると

無知と共に消え去ります。

その為の完璧な方法論[プラックリヤー]があります。

知識が定着する方法論です。

しかし、その知識は

ある特別な種類のアンタッカラナが必要です。

なぜなら、あなたは何か受け入れたくなくて

それは不可能だと話し続けますから。

あなたの信念に対するコミットメントが必要です。

あなたは真実にコミットメントしているのではなく

まずあなたは、信念、信仰に委ねます。

そして、その信念を確証するために聖典を探求します。

誠実に真実にコミットするなら

すべきことは、ここで言われた事を振り返り見るだけです。

あなたが見なければならない何か

それは、あるがまま。

これは、不確かな事を提案しているのでもなく

約束しているのでもありません。

わたしたちは、アカルターであり

滅びる事のないもの[アヴィナーシー]という意味です。

本当の行いなど無いのに、どの様に

その人が、何か行いをする事が出来ますか?

あなたが、日の出を見る時

地球から見ると、太陽の方が昇るように見えますが

実は地球が回っています

太陽が昇っていない事を知り、それを否定します。

日の出は単なる現われであり、本当の日の出はなく

太陽には、昇るという行いはありません。

あなたは日の出を見ますが、否定します。

私達は孔雀の羽根に沢山の色を見ます。

実際、その様な色はありません。

色の現れは、光を反射する

異なるプリズムのような構造の為です。

これは知識による否定[बाधाバーダー]です。

あなたが色の知覚を否定しているのではなく

そこに色がある事を否定しています。

全ての科学は否定し続けます。

何かを見て、それは真実ではなく

代わりに他の何かが真実であることを発見します。

あなたがある物の実体を追うなら

以前実体だと見なされていたものは

その存在を他の実体に頼らなければならず

それは実体を持っていない事が分かります。

アートマーにおけるカルトゥルットヴァ・ブッディも否定されます。

ニャーニーが何をしていても

その人は「私は行いをしない」ということを知っています。

これが知識[ニャーナ]です。

それを失う事は決してありません。

サルヴァ・カルマ・サンニャーサとは

その人が、どんな行いもしなくなるという意味ではなく

サット・チット・アーナンダ・アートマーは

どんな行いもしない、と言うことを意味しています。

行いの中に、行いの無い事を理解しているのです。

その様な人は、知識[ブッディ]を持ち

為されるべき事を全てしてきました[クルッツナ・カルマクルトゥ]。

何故なら、その人はアートマーはアカルターで

いつも満ちている[プールナ]であると

知っているのですから。

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