2018/05/05
वेदाविनाशिनं नित्यं य एनमजमव्ययम् ।
vedāvināśinaṃ nityaṃ ya enamajamavyayam |
कथं स पुरुषः पार्थ कं घातयति हन्ति कम् ॥२.२१॥
kathaṃ sa puruṣaḥ pārtha kaṃ ghātayati hanti kam ||2.21||
プルターの息子よ。これ(自分自身)を不滅で、時間に捕らわれず
生まれないもの、そして老いないものと知っている人が
どのように、誰を殺しますか?
また、殺すことを強いるのですか?[2-21]
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もしアートマーが行い手[カルター]なら
常にカルターでなければなりません。
それがアートマーの本質なら、行いをする人として
いつも何かをしているべきですが、そうでありません。
あなたは時々、後ろに退いて
全く何もせずただ体験をします。
経験する人という状態[ボークトゥルットヴァ]だけを見て
行いをする人という状態[カルットゥルットヴァ]は見ません。
同様にもし、経験する人という状態が
アートマーの本質であるなら
アートマーはいつも体験する人[ボークター]でしょう。
この様にアートマーは
カルターでもボークターでもありません。
また、行いをする人も、体験をする人もいない時
”私という感覚”が全くない時もあります。
例えば、2つの考えの間の様に
私という観念[アハンカーラ]がありません。
私はどの様に「私は行いをする人ではない」
という知識を得ることができるのでしょうか?
私はアカルトゥル・アートマーを見ることが出来ません。
アートマーの知識は、主体そのものについての
無知を取り除くものです。
自分自身についての無知がある
それを認識している人がいて
その事を認識している人だけが
無知を取り除くことができます。
この知識が「私は行いをする人ではない」です。
この考え[ヴルッディ]が自分自身についての
無知を滅ぼすことができます。
その真実についての無知は、教え[ウパデーシャ]
もたらされる考え[ヴルッティ]によって取り除かれます。
そのヴルッティは、その仕事を終えると
無知と共に消え去ります。
その為の完璧な方法論[プラックリヤー]があります。
知識が定着する方法論です。
しかし、その知識は
ある特別な種類のアンタッカラナが必要です。
なぜなら、あなたは何か受け入れたくなくて
それは不可能だと話し続けますから。
あなたの信念に対するコミットメントが必要です。
あなたは真実にコミットメントしているのではなく
まずあなたは、信念、信仰に委ねます。
そして、その信念を確証するために聖典を探求します。
誠実に真実にコミットするなら
すべきことは、ここで言われた事を振り返り見るだけです。
あなたが見なければならない何か
それは、あるがまま。
これは、不確かな事を提案しているのでもなく
約束しているのでもありません。
わたしたちは、アカルターであり
滅びる事のないもの[アヴィナーシー]という意味です。
本当の行いなど無いのに、どの様に
その人が、何か行いをする事が出来ますか?
あなたが、日の出を見る時
地球から見ると、太陽の方が昇るように見えますが
実は地球が回っています
太陽が昇っていない事を知り、それを否定します。
日の出は単なる現われであり、本当の日の出はなく
太陽には、昇るという行いはありません。
あなたは日の出を見ますが、否定します。
私達は孔雀の羽根に沢山の色を見ます。
実際、その様な色はありません。
色の現れは、光を反射する
異なるプリズムのような構造の為です。
これは知識による否定[बाधाバーダー]です。
あなたが色の知覚を否定しているのではなく
そこに色がある事を否定しています。
全ての科学は否定し続けます。
何かを見て、それは真実ではなく
代わりに他の何かが真実であることを発見します。
あなたがある物の実体を追うなら
以前実体だと見なされていたものは
その存在を他の実体に頼らなければならず
それは実体を持っていない事が分かります。
アートマーにおけるカルトゥルットヴァ・ブッディも否定されます。
ニャーニーが何をしていても
その人は「私は行いをしない」ということを知っています。
これが知識[ニャーナ]です。
それを失う事は決してありません。
サルヴァ・カルマ・サンニャーサとは
その人が、どんな行いもしなくなるという意味ではなく
サット・チット・アーナンダ・アートマーは
どんな行いもしない、と言うことを意味しています。
行いの中に、行いの無い事を理解しているのです。
その様な人は、知識[ブッディ]を持ち
為されるべき事を全てしてきました[クルッツナ・カルマクルトゥ]。
何故なら、その人はアートマーはアカルターで
いつも満ちている[プールナ]であると
知っているのですから。