千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第2章32~33番目の詩

2018/10/27

यदृच्छया चोपपन्नं स्वर्गद्वारमपावृतम् ।

yadṛcchayā copapannaṃ svargadvāramapāvṛtam |

सुखिनः क्षत्रियाः पार्थ लभन्ते युद्धमीदृशम् ॥२.३२॥

sukhinaḥ kṣatriyāḥ pārtha labhante yuddhamīdṛśam ||2.32||

プルターの息子よ

開いている天国の門が思いがけなくやって来た

幸運なクシャットリヤ達だけが

この種の戦争を得ます[32]

-

天国の門がアルジュナに開かれていると

クリシュナは言いました。

自分の義務を行い死ぬ人は、天国[スヴァルガ]へ行く

聖典で約束されるカルマ・パラです。

祈ることは何もせずに、天国の門が開かれました。

とクリシュナは言い、また

この種の戦争は普通の人によっては得られない

[ユッダム・イードゥルシャム]

幸運な人だけが得られる

[スキナハ クシャットリヤーハ ラバンテー]

と言いました。

これはドゥルヨーダナの軍隊のクシャットリヤ達が

不運であったことを意味するのでしょうか?

ドゥルヨーダナの軍隊のクシャットリヤ達も

戦おうとしていたことは確かですが

彼らは、強奪者をサポートし、混乱していました。

彼らはアルジュナの様に

清らかな心で戦う事が出来ませんでした。

彼らは兵士で、自身の戦う理由があり

それが義務だと言ったかもしれませんし

それが真実であったかもしれませんが

内側の混乱は避けられないものでした。

彼らもスヴァダルマをしていたのですが

それは完全なダルミャではありませんでした。

彼らのリーダーは、強奪者だったのですから。

ビーシュマ、ドローナ、ドゥルヨーダナの全軍隊は

ドゥルヨーダナに恩を着せられ

完全にダルマと調和せず、そこにいたのでした。

一方、アルジュナはダルマと調和していました。

ダルマを守るクシャットリヤにとって

それ以上の好機[ヤドゥルッチャヤー]なく

これは明らかにダルマの戦い[ダルミャ・ユッダ]です。

ダルマの観点からも、悲しむ理由などないのです。

教えの最初の言葉が「アショーチャーン アンヴァショーチャーハ トヴァム」

クリシュナは、その悲しみに本当の基盤など無い

と言い、絶対的に扱いました。

そして、自分自身の義務[スヴァダルマ]に基づく

相対的な観点から扱いました。

アルジュナにとって、戦争[ユッダ]は

義務[スヴァダルマ]と一致していました。

すべき事は、戦う事だけでした。

幸運な人達だけが、その様な機会を得ます。

誰も彼もが、こんな風にはいきません。

अथ चेत्त्वमिमं धर्म्यं सङ्‍ग्रामं न करिष्यसि ।

atha cettvamimaṃ dharmyaṃ saṅgrāmaṃ na kariṣyasi |

ततः स्वधर्मं कीर्तिं च हित्वा पापमवाप्स्यसि ॥२.३३॥

tataḥ svadharmaṃ kīrtiṃ ca hitvā pāpamavāpsyasi ||2.33||

けれども、もしあなたがダルマに沿う

この戦争に従事する事を拒むのなら

あなた自身の義務や名誉を失いパーパを負うでしょう。[33]

-

ダルマと調和するこの戦いをしないなら

アルジュナ自身のダルマを滅ぼす

とクリシュナは言いました。

為されるべきことが滅ぼされるとは

単に、それをしないということです。

また、アルジュナが今まで得た

名誉や名声をも失います。

[キールティム チャ ヒットヴァー]

以前アルジュナは、ハンターの姿で現れたシヴァ神と互角に戦い

シヴァ神は、アルジュナに武器を与えて祝福しました。

神であるシヴァと戦いを交え

アルジュナは、大きな名声を得ました。

その名声の全てが失われ

アルジュナは、パーパだけを負うのです。

戦わないこと、それ自体はパーパではありませんが

すべき義務から逃げ出すことは

パーパを招く行い[カルマ]です。

「アルジュナよ、あなたは罪を負うでしょう。

[パーパム アヴァープシャシ]

そしてあなたは名声も失うでしょう」

とクリシュナは言いました。

”行いをしなければパーパを負う”

これは、大変不明瞭な発言です。

要点は、成されるべき事をしない時

その代りに、別の行いをするので

その別の行いが

アドリシュタパラを呼び込むということです。

戦場から逃げ出すことは、行いです。

アルジュナの立場における、この”撤退する”という行為

つまり義務を放棄し、別の何かをすることは

明らかにアドリシュタパラを引き起こします。

このパーパを避けられないということは

クリシュナによって言われた

ダルマに基づくもう1つの議論でした。

「アルジュナは、哀れみ深い人だから森に行ったのでしょう」

なんて、誰も言うことはありません。

それどころか、名誉や名声を失うとクリシュナいました。