2019-02-22

2019/2/16ギーター第2章勉強会㉝

ナマステー。

千葉市中央区のヨガ教室 ギーターヨーガ主宰ヤムナーです^^

2/16の勉強会では第2章40、41番目の詩を読み進めていきました。

न 0 इह 0 अभिक्रमनाशः 1/1 अस्ति III/1 प्रत्यवायः 1/1 न 0 विद्यते III/1 ।

स्वल्पम् 1/1 अपि 0 अस्य 6/1 धर्मस्य 6/1 त्रायते III/1 महतः 5/1 भयात् 5/1 ॥२.४०॥

カルマヨーガにおいて、努力の浪費など全くありませんし、反対の結果がもたらされることなどありません。

ほんの少しのカルマ-ヨーガでさえも、人を大きな恐れから守ります。[2-40]

一旦カルマヨーガの生活をはじめたなら、川の水が流れを逆にし、山の頂上から流れるのではなく、頂上に向かって流れるかの様に、異なった旅がスタートします。

カルマヨーガを通し、私達の旅のプロセスは逆転するのです。

この逆転が始まると、多くの障害が残ろうとも止めるものは何もありません。

この人生において、その旅を終えなくても、次の人生でまたそれを続けられるとギーターが保証します。

ほんの僅かなカルマヨーガでも、考え方における変化が作られ、既に旅の逆転がスタートしているので、サムサーラの大きな恐れから私達は守られます。(त्रायते महतः भयात्)

第6章で見るように、私達がプロセスを逆転したというその事実こそが、私達が正しい道のりにいる事、

旅がほとんど終わろうとしている事を示しているとクリシュナ神は言います。

その逆転のプロセスが大きな祝福であると、ギーターはカルマヨーガを讃えます。

व्यवसायात्मिका 1/1 बुद्धिः 1/1 एका 1/1 इह 0 कुरुनन्दन 8/1 ।

बहुशाखाः 1/3 हि 0 अनन्ताः 1/3 च 0 बुद्धयः 1/3 अव्यवसायिनाम् 6/3 ॥२.४१॥

クル一族の子孫よ!これ(モークシャ)に関し、1つのハッキリと確かめられた理解があります。

見極める努力が不足している者の観念は、多くに枝分かれし、全く数えきれません。[2-41]

知識は考えに起こります。

肉体的に成長した人は成人であるかもしれませんが、それは考え・アンタッカラナが教えの為の準備が出来ている事とは異なります。

成熟・ヴィヴェーカが必要です。

見極め、成熟・ヴィヴェーカがあるので、この知識を求め、また受け取る時、期待を持つ事が出来ます。

その知識を受けとる為に必要な考えがカルマヨーガによって完成されます。

祈り深い態度でカルマヨーガを行う事でカルマヨーガのライフスタイルを選ぶことが出来ます。

あるいは、知識・サーンキャにのみ関わる引退の人生を選ぶことも出来ます(ニャーナヨーガ)。

人は単にサンニャーシーになることによって悟るわけではなく、サンニャーシーもまた知識を得なければなりません。

同様にカルマヨーガだけでも自由を得られず、知識を得なければなりません。

知識が自由にするのです。

その為、ヨーガによって準備が整った考えを必要とします。

サンニャーシーは、サマーディの最終的な段階まで、アシュターンガ・ヨーガに従うかもしれませんが、

それもまた、知識を得る為のアンタッカラナを清らかにする為に成されるべき手段なので、カルマヨーガに含まれます。

考えのムラの無さを得る為に役立つテクニックは、サンニャーシーにすら使われます。

そして、ゴール(モークシャ)が明確でなければ考えはあらゆる所を彷徨い、優先順位に混乱が生まれます。

ゴールが明確でない人々はヴャヴァサーヤートミカー・ブッディ(モークシャに関するハッキリと確かめられた理解)がないので、何が為されるべきかの優先順位に関して混乱しています。

カルマヨーガであろうと、ニャーナヨーガであろうとゴールは同じ、それは知識です。

その知識も、私の知識とか、あなたの知識とか異なる事はありません。

私にとっても、あなたにとっても「1+1=2」です。

同様にカルマヨーガを生きる人の知識は、サンニャーシーによって追求される知識と同じです。

カルマヨーギーはサンニャーシーの様に、ムムクシュであり、モークシャだけに願望を持っている探求者です。

そうでなければ、人はカルマヨーギーになったりしないのです。

次回の勉強会は3月2日(土)11:20~12:50です。

最後までありがとうございました。

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