千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第2章45番目の詩

त्रैगुण्यविषया वेदा निस्त्रैगुण्यो भवार्जुन ।

traiguṇyaviṣayā vedā nistraiguṇyo bhavārjuna |

निर्द्वन्द्वो नित्यसत्त्वस्थो निर्योगक्षेम आत्मवान् ॥२.४५॥

nirdvandvo nityasattvastho niryogakṣema ātmavān ||2.45||

ヴェーダの主題は3つの質に関連するものです

アルジュナよ、この3つのグナから自由で、対極の組み合わせからなる世界から自由で

サットヴァのグナに変わらず留まり、得る事・失う事の心配から自由で

自分自身を自由にすることが出来る人でありなさい[2-45]

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人は、その人が見たいものの為だけに聖典を読みます。

それは、多くの物が並ぶ金物屋さんに入り、私が欲しい物だけを調べる様なもの。

聖典は多くのトピックがあり、私は欲しい物だけを探求します。

ヴェーダは、あらゆる結果を成し遂げる為の、道理にかなった方法を提供します。

子宝に恵まれるなどの五感で捉えられる結果、天国などの五感では捉えられない結果、五感で捉えられる、捉えられないという、あらゆる方法と結果を明らかにしてますが、これら全ては、限られた結果の為の方法ばかりです。

体験[ボーガ]や、権力[アイシュヴァルヤ]を求める人が探しているものです。

その人にとってヴェーダは、サットヴァ・ラジャス・タマス、3つのグナにまつわるもの[トライグンニャ・ヴィシャヤ]、サムサーラを意味します。

サットヴァは、何らかの幸せを与え、ラジャスは、興奮や動揺を与え、タマスは鈍さや悲しみを与えます。

こうしてこれら3つの質が喜びや辛さ[スカ・ドゥッカ]を与えます。

サムサーラとは、この3つのグナの囲いにあるものを意味します。

サムサーラがゴールである人にはならないように[ニストライグンニョー バヴァ]と、クリシュナは言いました。

サムサーラは、成し遂げるものではなく、私達は、既にそれを得ています。

私達は、既にサットヴァ・ラジャス・タマスの3つの囲いの中に居て、そこからの自由を探しています。

溺れている人は、既に溺れているので、水を求めず、海の中に沈みたくはないのです。

私達は、既に首までサムサーラの海の中にいますから、サムサーラは、脱出する為の状況です。

シャンカラは解説します。

体験の喜び、権力への欲望からあなたが自由でありますように[ニシュカーマハ バヴァ]。

更には、喜びや辛さ[スカ・ドゥッカ]の原因である、対極の出来事から自由でありなさい[ニルドヴァンドヴァハ バヴァ]

対極の出来事[ドヴァンドヴァ]とは、暑いと寒い、勝利と敗北などです。

何かがある事や無い事に依存していない事が、ニルドヴァンドヴァです。

暑い・寒いは、人を不幸せにする事が出来、それに振り回されるなら、幸せは、それが有る・無いに頼っています。

つまり、ニルドヴァンドヴァではありません。

また、敗北に痛みがあり、勝利に意気揚々とします。

「痛い思いをしたくないにしても、なぜ意気揚々であってはいけないのか?」

と言うかもしれませんが、意気揚々とするなら、明らかに痛みも持つのです。

あなたは、それらを避ける事が出来ませんから、どうか対極のものに影響されませんように。

冬や夏を避ける事は出来ませんが、ある種の冷静さや、心構えを保つ事で影響を受けずにいられます。

この様な状況を変えることに、没頭させられる必要はありません。

サットヴァの質が高いの人のことをサットヴァスタと言い、サットヴァが優勢になった時、平静さと、見極めと、探求と、知識があります。

一方、ラジョーグナは興奮や、大望といったものです。

いつも知識にあなたのコミットメントがありますように[ニッテャサットヴァスタハ バヴァ]。

そして、あなた自身が3つのグナから自由[ニストライグンニャ]であることを発見しますように。

この詩のニルヨーガ・クシェーマのヨーガという言葉は「得ること」という意味です。

クシェーマという言葉は「維持すること」を意味します。

人の問題は、いつもヨーガかクシェーマにまつわります。

欲しいものが得られない、あるいは持っていたものを失ってしまうなどの、心配を引き起こす、失っている沢山のものがあります。

それら全ては、ヨーガとクシェーマです。

ですからクリシュナはアルジュナに言いました。

得る事・失う事の為に心配や悩みを持たない人でありますように[ニルヨーガ・クシェーマハ バヴァ]。

欲しいものを得る事、また、それにしがみつく事、それだけが関心事の人にとって、モークシャの追求に自分自身を没頭させることは、とても難しいのです。

クリシュナは「ヨーガやクシェーマに進むべきではない」と言ったのではなく、「ヨーガとクシェーマから生まれる心配がありませんように」と言いました。

言い換えるなら「あなたが自由でありますように」

あなたが自分自身のマスターでありますように[アートマヴァーン]。

つまり、考えと感覚器官があなたと共にある人でありますように。

こういったこと全てがギーターを通して解説されます。

そうでなければ、クリシュナの言葉は、単なるアドバイスに過ぎず、教えではなかったでしょう。

あなたの考えが、あなたと共にありますように。

無関心で、メカニカルな考え[プラマーダ]から自由でありますように。

言い換えるなら、注意深くありますように。

あなたがあなたとして1つでありますように。