2019-09-01

2019/8/31ギーター第2章勉強会㊺

8/31の勉強会も、引き続き第2章47番目の詩を読み進めていきました。

कर्मण्येवाधिकारस्ते मा फलेषु कदाचन ।

मा कर्मफलहेतुर्भूर्मा ते सङ्गोऽस्त्वकर्मणि ॥२.४७॥

あなたの選択(権利)は行為にだけです。

決して行為の結果にはありません。

行為の結果の起因と考えないように。

アカルマ(結果)にあなたの執着がないように。[2-47]

私達が見てきたイーシュワラの定義は

「サルヴァッンニャ・全知」

「サルヴァシャクティマーン・全能」

そして

「カルマパラダーター・行いの実りの数々を与える人」

です。

これらの定義は、神が全ての生き物達を創った

と言う時に起こる問題を取り除きます。

しかし、なぜ神は

ある人を目が見えない様に作り

他の人は足を不自由に作ったのか

と、当然のことながら疑問が起こります。

これらの事全ての答えは

神は創造主であるだけではなく

神は創造された世界でもある

と言う事で解消されます。

ジーヴァ・個人とパラメーシュワラ・神は

違ったものではないのです。

ジーヴァというのは、ただ無知ゆえです。

そして無知は始まりがなく

ジーヴァは始まりがありません。

世界において、生まれてくるそれぞれの個体で

そのカルマ・パラに適合した肉体を持ちます。

カルマ・パラ・ダーターとして

定義されるイーシュワラは

非難するものとなりません。

還って来るものについて誰も責任はありません。

私達は行いを演じる為の能力、自由意志を持っています。

何であれ望むことをする事が出来ます。

しかし、結果はいつも

イーシュワラである法則によって処理されます。

こういった理解は何故必要なのか?

ギーターによって定義されている

人間の心理にもう少し踏み込む必要があります。

私達の全ての行為がラーガ(好き)と

ドヴェーシャ(嫌い)に他なりません。

そして問題もまたラーガ・ドヴェーシャに他なりません。

もしラーガ・ドヴェーシャがないなら

深い眠りの時の様に問題はないのです。

文化的、民族的、そしてそれ以外のものに基づく

人の振る舞い、行動、反応、偏見の数々は

全て人々の好き嫌いにコントロールされています。

例えばガネーシャ神に祈る時、

ガネーシャ好きな甘いお菓子、モーダカを捧げます。

もちろんこれは、私達の好みに基づいています。

私達自身のラーガ・ドヴェーシャをバガヴァーンにも負わせます。

ガネーシャはこれが好きで

シヴァはあれが好きで

と私達が言い

そして、統括神を人として扱うのです。

私達は好みなしに誰かを扱う事は出来ません。

しかし、私達の好みは

束縛がないものであるべき

と言うのがアイデアです。

来週も引き続き47番目の詩を読み進めます。

日程:9月7日(土)11:20~12:50

最後までありがとうございました。

千葉市中央区ヨガ教室「ギーターヨーガ」ヤムナー

関連記事