千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

ヨガ 勉強会  個人レッスン・出張ヨガ 私について ブログ アクセス スケジュール・予約 お問い合わせ

2019/09/07【ギーター】第2章47番目の詩

9/7の勉強会も、引き続き第2章47番目の詩を読み進めていきました。

कर्मण्येवाधिकारस्ते मा फलेषु कदाचन ।

मा कर्मफलहेतुर्भूर्मा ते सङ्गोऽस्त्वकर्मणि ॥२.४७॥

あなたの選択(権利)は行為にだけです。

決して行為の結果にはありません。

行為の結果の起因と考えないように。

アカルマ(結果)にあなたの執着がないように。[2-47]

カルマ・パラ・ダーターとしてのイーシュワラの理解が

毎日の生活の中で、私達にイーシュワラを認識させるものです。

人は転んで怪我したり

怪我1つしない事もあり

病気が結末の場合があったり

決して帰って来ない事もあります

これら全てがあり得えます。

1人のバクタ(帰依者)として

私達はイーシュワラが途切れる事なく

働いている事を見ます。

--

全ての結果が、イーシュワラから来きますから

それをプラサーダとして受け取ります。

私達が、神に甘いお菓子を捧げる時

その甘いお菓子は私達に還ってきます。

祭壇から与えられます。

その還ってきた甘いお菓子が、プラサーダと呼ばれます。

ダイエットをしている人は、甘いお菓子を拒むかもしれませんが

それがティルパティ ヴェンカデーシュワラ(南インドの有名な寺院)からもらった

甘いお菓子だと知ったら、その人は拒みません。

イーシュワラからの「御下がり」であると知るなら

甘いお菓子がプラサーダになります。

--

カルマ・パラをプラサーダ(恩恵、御下がり)に変えるのは

それがイーシュワラから来るものだという

純粋に私達の理解です。

ひとたび、全てがプラサーダであるなら

実際、何も不平がありません。

私達はそこから何かを学ぶだけです。

どの様なカルマ・パラ(行いの結果)が来ても

それに対する受け取り方は同じです。

これがクリシュナがカルマ・パラの原因ではない様にと

アルジュナに言っている事なのです。

カルマ・パラ・ヘートゥ(行いの結果の原因)は

アルジュナではなくイーシュワラです。

アルジュナは行いを作る原因ですが

その結果を作る原因ではありません。

--

更にクリシュナは

「行いではないものに、執着がありませんように。

アカルマニ サンガハ マー アストゥ。」

と言いました。

行いそのものは問題はなく

行いの結果への私達の反応があり

そこに問題があります。

行いではないものとは、行いの恐れを意味しています。

行い自体の恐れではなく

私達が望む結果が来ないという恐れです。

私達は行いを始める前でさえ失敗する事を予想します。

--

クリシュナは「カルマそのものは、束縛していない」

とアルジュナに言いました。

カルマ・パラが束縛するのでもありません。

カルマを、まるで束縛であるかの様にするのは

カルマ・パラに対する反応なのです。

--

「行いに愛がありますように」

「プラサーダとして結果が受け取られますように」

次回の勉強会は9月21日(土)11:20~12:50です。

第48番目、カルマヨーガ定義の詩に進みます。

最後までありがとうございました。

千葉市中央区ヨガ教室「ギーターヨーガ」ヤムナー