千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章04番目の詩①

2020/12/28

न कर्मणामनारम्भान्नैष्कर्म्यं पुरुषोऽश्नुते ।

na0 karmaṇām6/3 anārambhāt5/1 naiṣkarmyam2/1 puruṣaḥ 1/1aśnute III/1 |

न च सन्न्यसनादेव सिद्धिं समधिगच्छति ॥३.४॥

na0 ca0 sannyasanāt 5/1 eva 0 siddhiṃ2/1 samadhigacchati III/1 ||3.4||

行いをしないことで行いのないこと[ナイシュカルミャ]を得るのではありません。

単に、サンニャーサから成功(自由)を達成するのでもありません[4]

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1.ニャーナ・ヨーガ・ニシュター

2.カルマ・ヨーガ・ニシュター

2つのライフスタイルがあり

この2の間には繋がりがあります。

ニャーナ・ヨーギーは、知識の追求だけがヨーガですから、ラーガ・ドヴェーシャから自由でなければなりません。

ラーガ・ドヴェーシャが全ての問題の原因だと、ギーターで描写されています。

ですから、サンニャーシーになる前にラーガ・ドヴェーシャが解決されなければなりません。

カルマ・ヨーガをせずサンニャーシーになるなら、ラーガ・ドヴェーシャを和らげられません。

ある特定のものに対する欲望[ラーガ]があっても、サンニャーシーは、ラーガを満すことは出来ませんし、避けたいと思う状況[ドヴェーシャ]も中和されないまま残ります。

しかしカルマ・ヨーギーは、ラーガ・ドヴェーシャを中和する場があります。

カルマ・ヨーガがニャーナ・ヨーガの手段になり、ニャーナ・ヨーガがモークシャの手段になります。

サンニャーサという言葉は「知識の追求のためだけに全ての関係や行為を手放す生活スタイル」「知識により、全ての行為を手放す」

[ニャーネーナ カルマ・サンニャーサハ]という2つの意味があることも見てきました。

知識が、サンニャーサで、サンニャーサそれ自体をゴールとして扱うことがあります。

全ての行いを手放すこと[サルヴァ・カルマ・サンニャーサ]が、知識の中に起こるからです。

知識を得て”アートマーが行っている”という観念が取り消されます。

アートマーには、行いをしていても”行い手である”という観念はなく、アートマーによって、なされることはありません。

このことが、はっきりと理解され全ての行いが手放されます[ニャーネーナ カルマ・サンニャーサハ]。

これがサルヴァ・カルマ・サンニャーサという言葉で言い表され、モークシャと同じことです。

ニャーサ[नि+अस्+अ]とは隠退生活を意味し、サンニャーサとは完全な、完璧な隠退生活です。

サルヴァ・カルマ・サンニャーサは、あらゆる行いから完全に身を引くことで、知識そのものという形をした隠退です。

この知識は、適切な態度[カルマ・ヨーガ]で考えが成し遂げられます。