2021-04-17

【ギーター】第2章70番目の詩②

2021/04/16

आपूर्यमाणमचलप्रतिष्ठं समुद्रमापः प्रविशन्ति यद्वत् ।

āpūryamāṇamacalapratiṣṭhaṃ samudramāpaḥ praviśanti yadvat ।

तद्वत्कामा यं प्रविशन्ति सर्वे स शान्तिमाप्नोति न कामकामी ॥२.७०॥

tadvatkāmā yaṃ praviśanti sarve sa śāntimāpnoti na kāmakāmī ॥2.70॥

水が入って来ても、満ちている海はいつも不動である様に

あらゆる感覚の対象物が(考えに)入ってきても

賢者はシャーンティを得ています(何も変わりません)

カーマカーミーは平和を得ません[2-70]

それらは望まれているので、カーマと呼ばれる

[カーミャテー イティ カーマハ]


この詩でカーマは、感覚の対象物です。

自分自身をアーナンダと知らない人は、望むもを得た時、有頂天になり

望まないものを得るなら落胆します。

欲望を持つ人[カーマカーミー]は、望むものに対しての欲望を持ち

考えの中に、感覚の対象物、つまり世界が現れ

望むものを得るなら意気揚々とし、望まないものを得るとがっかりします。

その人の感情は、上がったり下がったりヨーヨーの様です。



ところが賢者は変わらず、上がったり下がったりのヨーヨー感情は無いのです。

海が歓喜に満ち、時には、ただ微笑んでいるかの様に、微笑み、笑い、穏やかさがあります。

轟く笑い、微笑みが無くとも、海そのものは満ちていますから、穏やかです。

満足は既にあるのです。

満ち足りた笑い、満ち足りた穏やかさでもあり得ます。



賢者が海で、それ以外の人は、惨めな池です。

洪水や、水が干上がると、池は無くなる様に

束縛のある欲望を持つ人は、望ましいもの、望ましくないものが、

あったり、なかったりすることで変化しますが、賢者には、それがありません。

69番の詩は、賢明である為には智慧が必要という

賢者のリアルな描写でしたが

賢者が海に例えられるこの詩は、多くの水を海が受け入れるかの様に

望むもの、望まないものも全て受け入れ、賢者は、満たされ留まると述べられます。

束縛ある欲求を持つ人[カーマカーミー]は、いつも問題を抱えていると、クリシュナは話し

アルジュナは、この例え話で賢者がどの様であるかを知ったはずです。

この詩は、アルジュナに希望を与えました。

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