2021/04/16
आपूर्यमाणमचलप्रतिष्ठं समुद्रमापः प्रविशन्ति यद्वत् ।
āpūryamāṇamacalapratiṣṭhaṃ samudramāpaḥ praviśanti yadvat ।
तद्वत्कामा यं प्रविशन्ति सर्वे स शान्तिमाप्नोति न कामकामी ॥२.७०॥
tadvatkāmā yaṃ praviśanti sarve sa śāntimāpnoti na kāmakāmī ॥2.70॥
水が入って来ても、満ちている海はいつも不動である様に
あらゆる感覚の対象物が(考えに)入ってきても
賢者はシャーンティを得ています(何も変わりません)
カーマカーミーは平和を得ません[2-70]
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それらは望まれているので、カーマと呼ばれる
[カーミャテー イティ カーマハ]
この詩でカーマは、感覚の対象物です。
自分自身をアーナンダと知らない人は、望むもを得た時、有頂天になり
望まないものを得るなら落胆します。
欲望を持つ人[カーマカーミー]は、望むものに対しての欲望を持ち
考えの中に、感覚の対象物、つまり世界が現れ
望むものを得るなら意気揚々とし、望まないものを得るとがっかりします。
その人の感情は、上がったり下がったりヨーヨーの様です。
ところが賢者は変わらず、上がったり下がったりのヨーヨー感情は無いのです。
海が歓喜に満ち、時には、ただ微笑んでいるかの様に、微笑み、笑い、穏やかさがあります。
轟く笑い、微笑みが無くとも、海そのものは満ちていますから、穏やかです。
満足は既にあるのです。
満ち足りた笑い、満ち足りた穏やかさでもあり得ます。
賢者が海で、それ以外の人は、惨めな池です。
洪水や、水が干上がると、池は無くなる様に
束縛のある欲望を持つ人は、望ましいもの、望ましくないものが、
あったり、なかったりすることで変化しますが、賢者には、それがありません。
69番の詩は、賢明である為には智慧が必要という
賢者のリアルな描写でしたが
賢者が海に例えられるこの詩は、多くの水を海が受け入れるかの様に
望むもの、望まないものも全て受け入れ、賢者は、満たされ留まると述べられます。
束縛ある欲求を持つ人[カーマカーミー]は、いつも問題を抱えていると、クリシュナは話し
アルジュナは、この例え話で賢者がどの様であるかを知ったはずです。
この詩は、アルジュナに希望を与えました。