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ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章09番目の詩⑤

2021/05/03

यज्ञार्थात्कर्मणोऽन्यत्र लोकोऽयं कर्मबन्धनः ।

तदर्थं कर्म कौन्तेय मुक्तसङ्गः समाचर ॥३.९॥

yajñārthātkarmaṇo'nyatra loko'yaṃ karmabandhanaḥ |

tadarthaṃ karma kaunteya muktasaṅgaḥ samācara ||3.9||

ヤッニャ目的の行い以外、その人はカルマによって束縛されます

カウンテーヤ、執着から離れ、その目的で行いをしなさい[9]

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バクティを伴いカルマ・ヨーガと、ニャーナヨーガという、2つライフスタイルがあります。

イーシュワラを常に考慮するなら、全てのカルマはヨーガで、イーシュワラの為になされた儀式、信仰、祈り、特別なカルマ、どの様なカルマもヤッニャです。

子育てもヤッニャで、イーシュワラに間接的に身を捧げる一例です。

この創造宇宙の中に個人は存在し、子供は個人の私に保護されています。

子供がプラサーダとして与えられ、私に育てられます。

これが正しい態度、考え方で、カルマ・ヨーガです。

イーシュワラが理解され、それに含まれる秩序はイーシュワラ。

こんな風に物事を見ることは、ありきたりでは無いのです

この理解こそバクティの意味です。

チャンティングは、バクティですが、バクティは単にチャンティングをすることではなく、イーシュワラとその秩序の理解です。

理解が人を繊細にし、人生に意味を与えます。

イーシュワラを理解することは、五感を超えた世界の認識で、それはプラマーナである聖典を使い、先生によって教えられます。

どの様なカルマも、直接的(ヴェーダの儀式)、間接的(日常)なカルマを通しイーシュワラと関わります。

役割を演じることもカルマですから、他者に何かを期待されているのであれば、個人の私は、自由意志(するか、しないか、するならどの様にするか)を期待されていることに使うべきです。

これが「イーシュワラのカルマが、どのように働くか」です。

個人の視野からは、選択に見えますが、視野を広げるなら、無数の選択が、この瞬間に実っていることが明らかです。

個人の私1人だけでなく、無数の人の行いの結果が実り、この瞬間、瞬間の作品として、皆の行いの結果を繋げています。

イーシュワラが実らせ、イーシュワラが実っています。

この瞬間、この場所に、他の場所では無く、この場所に何故私はいるのでしょう?

すべきことがあるから、この場所、この時に私はいる。

ここに意味があり、これがカルマの法則です。

支離滅裂ではなく、全てに原因と結果があります。

創造宇宙には無秩序はありません。

「神はサイコロを振らない」byアインシュタイン

仮にサイコロを振っても、サイコロがどう転がるかをその人は知っています。

全知でないなら、神はイーシュワラではありません。

サイコロを振る必要もありません。

物理学の法則自体がイーシュワラで、サイコロがどの様に転がるか、がイーシュワラです。

全ては起こるべくして、起こります。

余すところ無くイーシュワラ。

これを理解するなら、全てが意味深くなります。

すべきことを行い、イーシュワラを祈れる様になるには、目に見える以上のものを理解する必要があります。

手を使って食べる、その後ろにあるものは単なる欲望でなく、欲望の更に後ろにあるものを理解する必要があります。

(ex.食欲として現れているのは火の神)

欲望そのものがイーシュワラから、生まれたものであることを理解すべきです。

この理解がバクティです。

この様にして行いの担い手(個人)は、神を間接的に祈ります。