2021-05-06

【ギーター】第6章01番目の詩②

2021/05/06

श्रीभगवान् उवाच ।

अनाश्रितः कर्मफलं कार्यं कर्म करोति यः ।

स सन्न्यासी च योगी च न निरग्निर्न चाक्रियः ॥६.१॥

śrībhagavān uvāca |

anāśritaḥ karmaphalaṃ kāryaṃ karma karoti yaḥ |

sa sannyāsī ca yogī ca na niragnirna cākriyaḥ ||6.1||

バガヴァーンが言いました

行いの結果に執着せず、なすべきことをする人は

サンニャーシーであり、ヨーギーであり

全ての火の儀式を手放し、その他の行いもしない

単なるサンニャーシーではありません。

カルマ・ヨーギーは、好き嫌い[ラーガ・ドヴェーシャ]が無い人ではなく、それを手放し影響されない人です。

「これが絶対に欲しい」「これは絶対に避けたい」という束縛された欲求に左右されず、ダルマとアダルマに従ってなすべきことをします。

「お金を稼ぐこと」が目的でもいいですが、お金を得る手段に、ダルマ・アダルマの選択があることを理解します。

選択が、ラーガ・ドヴェーシャではなく、ダルマが基準である人がカルマ・ヨーギーです。

好きであろうが、嫌いであろうが、すべきことをするので、ある意味サンニャーシーです。

クリシュナは、ここでその様な人をカルマ・ヨーギーと言い、カルマ・ヨーギーはサンニャーシーとも言えると述べました。

カルマ・ヨーギーは完全なサンニャーシーでは無いにしても、ラーガ・ドヴェーシャを手放しているという意味で、サンニャーシーの資質を持っています。

カルマ・ヨーギーでなければ、手段を選ばず結果だけを追い求めます。

目的の為に手段を選ばない人をカルミーと言います。

価値の価値

「私は不幸だ」と言って、喜びを追い求める人がいますが、喜びの価値が正しく理解されていません。

その喜びには、限りがあるということが理解されていません。

どんな幸せを手に入れたとしても、自分が幸せでなければ、決して幸せはありませんし、どんな安心を手に入れたとしても、自分が安心でなければ、決して安心はありません。

同時に、普遍的価値(サーマーンニャダルマ、イーシュワラ)も十分に理解されず、その価値を選ばない時、何を失うかが見えていません。

価値の価値が、本当の意味で知らないことから、混乱が起こります。

普遍的価値(サーマーンニャダルマ、イーシュワラ)の評価は薄く、お金や権力など、一般的に価値に、過大な価値を置いてしまいます。

しかし、この「価値」が明確に理解されるならば、もはや、それらは限りのある価値であることが分かります。

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