2021/05/13
श्रीभगवान् उवाच ।
अनाश्रितः कर्मफलं कार्यं कर्म करोति यः ।
स सन्न्यासी च योगी च न निरग्निर्न चाक्रियः ॥६.१॥
śrībhagavān uvāca |
anāśritaḥ karmaphalaṃ kāryaṃ karma karoti yaḥ |
sa sannyāsī ca yogī ca na niragnirna cākriyaḥ ||6.1||
バガヴァーンが言いました
行いの結果に執着せず、なすべきことをする人は
サンニャーシーであり、ヨーギーであり
全ての火の儀式を手放し、その他の行いもしない
単なるサンニャーシーではありません。
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人は、幸せを求めアルタ、カーマを求めますが、アルタ、カーマの価値を正しく理解していません。
アルタ、カーマは価値があるものの、それらは限りがあることを理解していないのです。
同時に、普遍的価値[サーマーンニャ・ダルマ=イーシュワラ]も十分に理解されず、その価値を選ばない時、何を失うかが見えていません。
価値の価値を知らないことから、混乱が起こります。
普遍的価値[サーマーンニャ・ダルマ]の評価は薄く、お金や権力など、一般的な価値に過大な価値を置いてしまいます。
カルマ・ヨーギーは、ラーガ・ドヴェーシャが未だある為、価値構造を十分に理解し、注意深く、カルマ・ヨーガの生き方をしなければなりません。
それは「目先の利益や褒美が大切か?」それとも「イーシュワラと共にいたいのか?」です。
イーシュワラと共にいたいのであれば、目先の利益や褒美は自然と選ばなくなるはずです。
モークシャの為のカルマ・ヨーガの人生とは、イーシュワラへのコミットですから、ラーガとドヴェーシャや今までの癖は自然と手放されていきます。
カルマ・ヨーギーは、きれいな考え[アンタハ・カラナ・シュッディ]を意味する、知識への欲求があります。
少なくとも、成熟した人になりたい、きれいな考えを得たい、と望むなら何かを手放さなければなりません。
葛藤の原因[ヴィクシェーパ・ヘートゥ]が手放され、葛藤の種である間違った行いを手放すのです。