2021-05-13

【ギーター】第6章01番目の詩③

2021/05/13

श्रीभगवान् उवाच ।

अनाश्रितः कर्मफलं कार्यं कर्म करोति यः ।

स सन्न्यासी च योगी च न निरग्निर्न चाक्रियः ॥६.१॥

śrībhagavān uvāca |

anāśritaḥ karmaphalaṃ kāryaṃ karma karoti yaḥ |

sa sannyāsī ca yogī ca na niragnirna cākriyaḥ ||6.1||

バガヴァーンが言いました

行いの結果に執着せず、なすべきことをする人は

サンニャーシーであり、ヨーギーであり

全ての火の儀式を手放し、その他の行いもしない

単なるサンニャーシーではありません。

人は、幸せを求めアルタ、カーマを求めますが、アルタ、カーマの価値を正しく理解していません。

アルタ、カーマは価値があるものの、それらは限りがあることを理解していないのです。

同時に、普遍的価値[サーマーンニャ・ダルマ=イーシュワラ]も十分に理解されず、その価値を選ばない時、何を失うかが見えていません。

価値の価値を知らないことから、混乱が起こります。

普遍的価値[サーマーンニャ・ダルマ]の評価は薄く、お金や権力など、一般的な価値に過大な価値を置いてしまいます。

カルマ・ヨーギーは、ラーガ・ドヴェーシャが未だある為、価値構造を十分に理解し、注意深く、カルマ・ヨーガの生き方をしなければなりません。

それは「目先の利益や褒美が大切か?」それとも「イーシュワラと共にいたいのか?」です。

イーシュワラと共にいたいのであれば、目先の利益や褒美は自然と選ばなくなるはずです。

モークシャの為のカルマ・ヨーガの人生とは、イーシュワラへのコミットですから、ラーガとドヴェーシャや今までの癖は自然と手放されていきます。

カルマ・ヨーギーは、きれいな考え[アンタハ・カラナ・シュッディ]を意味する、知識への欲求があります。

少なくとも、成熟した人になりたい、きれいな考えを得たい、と望むなら何かを手放さなければなりません。

葛藤の原因[ヴィクシェーパ・ヘートゥ]が手放され、葛藤の種である間違った行いを手放すのです。

関連記事