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ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章01番目の詩④

2021/05/20

श्रीभगवान् उवाच ।

अनाश्रितः कर्मफलं कार्यं कर्म करोति यः ।

स सन्न्यासी च योगी च न निरग्निर्न चाक्रियः ॥६.१॥

śrībhagavān uvāca |

anāśritaḥ karmaphalaṃ kāryaṃ karma karoti yaḥ |

sa sannyāsī ca yogī ca na niragnirna cākriyaḥ ||6.1||

バガヴァーンが言いました

行いの結果に執着せず、なすべきことをする人は

サンニャーシーであり、ヨーギーであり

全ての火の儀式を手放し、その他の行いもしない

単なるサンニャーシーではありません。

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間違った行いは、する前から、すべきかどうかで葛藤があり、している間も、し終えた後も葛藤があります。

しかし、ダルマに調和する行いをするなら、行う前は選択に関する葛藤があるにしても、正しいことを選ぶなら、もう葛藤はありません。

カルマ・ヨーギーは、最初葛藤があっても、最後は葛藤なく終えます。

サンニャーシーもカルマ・ヨーギーも、ラーガ・ドヴェーシャの魔力に左右されないので、クリシュナは「好き嫌いに執着せず、なすべきことを行うことで、人はサンニャーシーで、ヨーギーでもある」とアルジュナに言います。

続けてクリシュナは「火の儀式を手放し、その他の行いもしない、単なるサンニャーシーでは無い[ナ ニル・アッグニヒ ナ チャ ア・クリヤハ]」を説明します。

[ニル・アッグニヒ]と[ア・クリヤハ]の2つは、サンニャーサの生活を選んだ人が手放した2つの側面の行い、ヴァイディカ・カルマと、ラウキカ・カルマを指しています。

サンニャーシーになる前には、毎日の儀式[ニッテャ・カルマ]と、四季折々の催事[ナイミッティカ・カルマ]と呼ばれるヴェーダの儀式を行います。

全てのヴェーダの儀式は、火[アッグニ]がつきものですが、サンニャーシーは火の儀式もしないので、この詩の中でニラッグニと表現されています。

更にサンニャーシーは、他のあらゆる行い、宗教的なもの、家庭の義務、ビジネスに関する全てを手放します。

つまり果たすべき役割は無い、あらゆる行いを手放した人[ア・クリヤ]と言われます。

サンニャーサの儀式で、ヴァイディカ・カルマと、ラウキカ・カルマ全てを手放した時、その人はサンニャーシーと呼ばれます。

最近は、郵送でサンニャーシーになる人もいるようですが、サンニャーシーになる為には、ヴェーダーンタを教える先生に、「この人は精神的に独立していて、サンニャーシーとして生きながら、ヴェーダーンタを勉強し続け、その意味を理解出来るほどに成長している」と判断してもらわなければなりません。

重要なポイントは、サンニャーサの生活を選ぶとてラーガ・ドヴェーシャが無いとは限らない、ということです。

教えというものが何かを知らず「私は人々を救いたい、人々に仕えたい情熱があります」と、教えで人を助けたいという欲望を持つ人がいます。

しかし、「本当に人を助けたいのか?それとも自分自身を救いたいのか?」と聞くべきです。

人を助けたいのであれば、最初に自分自身を救わねばなりません。

自分自身が、あらゆる助けが必要なら、どの様に人に奉仕できますか?

ラーガ・ドヴェーシャにがんじがらめで、このシンプルな事実さえ理解できないかもしれません。

ですから、サンニャーサを選ぶことで、知識を得たサンニャーシーになるというわけではありません。