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ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章09番目の詩⑨

2021/05/31

यज्ञार्थात्कर्मणोऽन्यत्र लोकोऽयं कर्मबन्धनः ।

तदर्थं कर्म कौन्तेय मुक्तसङ्गः समाचर ॥३.९॥

yajñārthātkarmaṇo'nyatra loko'yaṃ karmabandhanaḥ |

tadarthaṃ karma kaunteya muktasaṅgaḥ samācara ||3.9||

ヤッニャ目的の行い以外、その人はカルマによって束縛されます

カウンテーヤ、執着から離れ、その目的で行いをしなさい[9]

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識別を持つ人はプンニャもパーパも両方とも束縛になり、サムサーラが続いていく原因になることを知っています。

カルマはサムサーラの原因ではなく、カルマはそれを終わりの無い物にしているのです。

既にサムサーラはあるので、その原因である必要はないのです。

カルマは、サムサーラを終わり無い物にするものなのに「どうして、カルマをすべきなのか?」というのが、アルジュナは疑問なのです。

ヤッニャ以外の目的でカルマがなされるならば、カルマは束縛が続く原因[バンダヘートゥ]になることを、この詩でクリシュナも認めています。

ここでヤッニャは、儀式そのものではなく、儀式がイーシュワラのために為されます。

シュルティはヤッニャを偏在する者[ヴィシュヌ]と言い、ヤッニャが神であることを明らかにしています。

同様に4章24節で、全てがブランマン、神として見なされます。

儀式を行う人、それが行われる場所、奉納する物、マントラも、お供え物を捧げる為のスプーンも全て神で、儀式で還ってくる結果も神です。

つまり何も得るものはないということです。

全てがブランマンに属しているので、全てがブランマンなのです。