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ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章09番目の詩⑩

2021/06/07

यज्ञार्थात्कर्मणोऽन्यत्र लोकोऽयं कर्मबन्धनः ।

तदर्थं कर्म कौन्तेय मुक्तसङ्गः समाचर ॥३.९॥

yajñārthātkarmaṇo'nyatra loko'yaṃ karmabandhanaḥ |

tadarthaṃ karma kaunteya muktasaṅgaḥ samācara ||3.9||

ヤッニャ目的の行い以外、その人はカルマによって束縛されます

カウンテーヤ、執着から離れ、その目的で行いをしなさい[9]

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クリシュナは、神を理解せずに行いをするなら、カルマが人を束縛すると言いました。

ダルマをイーシュワラと見なすことなく、ラーガ・ドヴェーシャから行われるなら束縛になります。

人の好き嫌いの為になされる儀式[カームミャ・カルマ]から、人はプンニャとパーパという結果だけを得ます。

ダルマとアダルマを視野においてカームミャ・カルマがなされたら、パーパを起こすことはありません。

しかしカルマが、なだめること[ヤッニャ]や、アンタハ・カラナ・シュッディの為になされる時、行いはヨーガ、モークシャの手段です。

カルマが、ヤッニャでなければ、信仰も、祈りも、ラーガ・ドヴェーシャを満たすカームミャ・カルマです。

何も問題はありませんが、カームミャ・カルマは束縛になると知っておくべきです。

なだめること[ヤッニャ]として、神の為に正しくカルマを行いなさい、とクリシュナは言いました。

アルジュナは、王国が欲しいというラーガ・ドヴェーシャは手放しているのに、なぜ戦う必要があるのでしょう?

クリシュナの答えは、アルジュナは、すべきことをしなくてはならないということでした。

ラーガ・ドヴェーシャが、ダルマに従わなければならないのです。

しなければいけないことを、したく無くても、それをした方が良い、とクリシュナは言っています。

こうして行いがヨーガになるのです。

クリシュナは、ニャーニーではなく、カルマ・ヨーギーについてここでは話しています。

自分が行い手ではないということを理解しているニャーニーは何もしなくても大丈夫なのです。

一方カルマ・ヨーギーは、自分が行い手であると考えますから、知識が得られるまで行いを続けます。