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ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章13番目の詩③

2021/08/30

यज्ञशिष्टाशिनः सन्तो मुच्यन्ते सर्वकिल्बिषैः ।

भुञ्जते ते त्वघं पापा ये पचन्त्यात्मकारणात् ॥३.१३॥

yajñaśiṣṭāśinaḥ santo mucyante sarvakilbiṣaiḥ |

bhuñjate te tvaghaṃ pāpā ye pacantyātmakāraṇāt ||3.13||

まず神に食事を捧げてから食べる人は、不純さから解放されます

一方、自分のためだけに料理をする人は、罪深い人で罪[パーパ]を食べます[13]

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サルヴァ・キルビシャイヒ ムッチャンテーという言葉は「全てのカルマから彼らは解き放たれる(モークシャ)」という意味にとることもできます。

パーパが中和されるだけでなく、知識で清められ、全てのプンニャとパーパから解き放たれるのです。

サンタハという言葉は、ヤッニャ・シシュターシナハと同じ意味と理解します。

あるいは「聖人(賢者)の様な人々[サットプルシャーハ]」という意味でもとることが出来、この場合は、ヤッニャ・シシュターシナハという言葉の形容詞です。

知識を得るために必要な考えを与えてくれる祈り深い生活により、彼らは賢者となります。

この詩の2行目で、ダルマよりもアダルマに基づいた行い[パーパ・カルマ]にふける人々についてクリシュナは描写します。

彼らはダルマやアダルマに全く無頓着で、自分に都合の良いことだけ、喜びや安全だけが重要なのです。

それ以上のものを何も見てはいないので、パーパを集め続け、食事を神に捧げず、パーパを食べます。

パーパが罪と言われますが、これはインドにおける文脈、ダルマとカルマの法則で理解されなければなりません。

サンスクリット語のパーパやプンニャのための正確な英語訳がないので、混乱しないために、パーパという言葉はサンスクリット語で留めておくのが良いです。

インドでの文脈で、パーパはいつも量が定められます。

交通違反の分野においてでさえ度合いの違いがあり、運転違反は駐車違反よりも深刻です。

駐車違反はただ支払うべき罰金があり、レッカーされるなら回収するのに高くつくかもしれませんが、支払い続ける必要はありません。

運転違反の様な保険料への影響はありません。

交通違反を統括している法律の様にカルマの法則というのは、なされた行いに相応しい結果が還ってくることを意味しています。

見える結果と見えない結果の両方があり、見えない結果が望ましくないものがパーパと呼ばれます。

デーヴァターたちへの捧げものとしてではなく、自分のためだけに料理をして食べる人はパーパだけを食べますが、神に食事を捧げてからのみ食べる人は、行いから集めてしまったかもしれない、あらゆるパーパを解消します。

壮大な宇宙を動かす車輪は、カルマによって絶え間なく回り続けています。

जगत्-चक्र-प्रवृत्ति-हेतुः 1/1 हि 0 कर्म 1/1 

世界の運行を促進している原因は、まさに行いです。

あなたは行い手、自由意思を享受する人で、あなたはその中の歯車です。

することもできるし、しなくてもよいのです。

木はそのように創られたので、木はすべきことをするだけです。

動物はそうするように創られたので、動物も期待されていることをします。

人間以外の生き物は、一定の方法にプログラムされているのでその通りに振る舞います。

人間は、自由意思によって行いをする生き物ですから行いの中に選択があります。

行いをするかもしれないし、しないかもしれないし、あるいは、違った方法でするかもしれないのです。

次の詩でクリシュナは、宇宙を動かす車輪が単にカルマによって、どのように回り続けているのかを描写します。