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ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章14番目の詩

2021/09/05

अन्नाद्भवन्ति भूतानि पर्जन्यादन्नसम्भवः ।

यज्ञाद्भवति पर्जन्यो यज्ञः कर्मसमुद्भवः ॥३.१४॥

annādbhavanti bhūtāni parjanyādannasambhavaḥ |

yajñādbhavati parjanyo yajñaḥ karmasamudbhavaḥ ||3.14||

生き物たちは食べ物から生まれ、食べ物は雨から生まれます

雨はヤッニャから生まれ、そしてヤッニャは行いから生まれます

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「食べ物から生まれる」という表現は、「食べる行為から生き物が生まれる」ことを表しています。

シャンカラの解説では、アンナートという言葉にブクタート(食べる)という言葉が付け加えられています。

つまり食べて吸収された食物からという意味です。

様々な肉体を持つ全ての生き物は、食べられた食物から生まれています。

両親によって食べられた食物が、血や種、その生き物が受胎する要因に変えられます。

食物は受胎の材料となり、それは解剖学で言う体の材料の源です。

クリシュナは、食べ物そのものは雨から生まれていると話し続けます。

雨はヤッニャから、それはつまり、デーヴァター達の祝福を理解し、感謝する、私たちの日々の祈りから生まれていると言いました。

ヤッニャをしなくても、雨は降りますが、適切な時に、適切な量で降るかは分かりません。

雨は常にその仕事をし、私が日々の祈りを捧げないなら、仕事をしていないことになるとクリシュナは言います。

合唱の時の様に、誰かが歌うから、自分は歌わなくてOKと考えることがあります。

私が歌わなくても、他の人が歌うなら気づかれずに続くし、また誰かが歌い間違えたとしても、他の人が間違えていないなら気づかれずに続きます。

同じタイミングで間違えない限り、間違いはバレないので、多少の問題があっても、その合唱は完璧に聞こえます。

ここでも、気づいている人が祈りを捧げ、雨が全ての人にもたらされると綴られています。

クリシュナはそれをしない人を泥棒に例えました。

「雨が降らないな~」と思うのではなく、宇宙の力をイーシュワラとして認識することが重要です。

義務を果たし、祈りというヤッニャをするならば、デーヴァター達は私達を祝福します。

例えば、太陽が海の水を蒸発させ雲となり、雨がもたらされます。

私達が日々のデーヴァターヤッニャをし、発生した全ての見えない結果[アドリシュタ]は適切な神、ここでは太陽に届き、雨がもたらされます。

私達が様々な力を呼び起こし、その力が私達を祝福した、という別の言い方です。

適切な時に、適切な場所に、適切な量で雨が降ります。

見えない結果[アドリシュタ]とはすなわちプンニャで、それはこの詩でヤッニャという言葉で意味されます。

祈りは明白な結果をすぐには生み出さず、見えない結果を作り、後ほど明白な結果を生み出すものです。

カルマ無しに、見える結果も、見えない結果も生み出すことは出来ません。

沸騰したお湯は、水を温めるという行いなしに出来ません。

同様に、見えない結果は、祈りと言う行いによって生み出された結果です。

この行いが自然の力や宇宙の生態系を動かし続けています。

ここでヤッニャは儀式のことではなく、儀式自体がカルマなので、シャンカラはこの詩の解説において、ヤッニャは見えない結果であると言いました。

アドリシュタとはカルマから生まれ、結果を生み出しますから、ヤッニャはカルマから生まれると言うことが出来ます。