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ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章07番目の詩②

जितात्मनः प्रशान्तस्य परमात्मा समाहितः ।

शीतोष्णसुखदुःखेषु तथा मानपमानयोः ॥६.७॥

jitātmanaḥ praśāntasya paramātmā samāhitaḥ |

śītoṣṇasukhaduḥkheṣu tathā mānapamānayoḥ ||6.7||

自分を上手く扱える人にとって、暑い・寒い・快・不快

評価・批判に対して、その人の考えは穏やかで、いつも落ち着いた状態です。

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個人に向けられる非難は、受け取るのがとても難しく、それは私の痛みを伴う部分に触れます。

この問題は、子供の頃に起因します。

親が常に子供を批判していたなら、傷つきやすい部分、未熟で、敏感な部分を生み出し、子供の問題になります。

そのあとに続くどんな非難も痛みを引き起こします。

この詩で議論されているのは、適切な理解(避けようが無いこと)を通して、これらの問題を対処した人です。

適切な理解がないと、ポジティブシンキングをはじめとする新しい哲学が作られるかもしれません。

それは、あらゆる痛みや悲しみという問題の上に、重ね合わせたものに過ぎません。

例えば「非難にさらされるべきでない」と単に思い込んでも上手くはいきません。

寒い・暑い、快・不快、賞賛・非難、全ての対極が考えをかき乱す要因になりますから、考えを統括出来るように取り組まなければならないのです。

「かき乱されるべきではない」という思い込みでは、かき乱されている自分自身に上乗せした観念ですから、ただの混乱に過ぎません。

混乱すべきではないと説いても、誰の助けにならないのです。

それは、既にある古い痛みの上に上乗せした観念なので、「べし、べからず」の注意事項リストのような、押し付けた人生観になります。

内側にある古い痛みは、新しく上乗せされた人生観にただ混乱させられるだけで、既にあった混乱に、混乱を付け加えるだけです。

新しい人生観は、役に立つのではなく問題になるのです。

この詩で言わんとすることは、あらゆる状況において、考え[アートマー]はいつも完全に落ち着いた状態[パラム サマーヒタハ]であり、私達はこのような考えの状態のために取り組むべきです。

過去の考えの習性を受け入れ、welcomeし、考えのスペースを保つ練習をします。

また、カーリヤ・カラナ・サンガータが統括されている人[ジタートマー]の考えは穏やかなので、この詩ではプラシャーンタとも呼ばれます。

その人にとって、パラマートマー、ブラフマンが、アートマーです。

言い換えると、知識を持っている人は、サット・チット・アーナンダ・アートマー、つまりパラマートマーが自分自身だと認識しています。

その人は、状況が変わっても、いつも落ち着いた状態[サマーヒタ]だとシャンカラは言います。