千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章08番目の詩②

ज्ञानविज्ञानतृप्तात्मा कूटस्थो विजितेन्द्रियः ।

युक्त इत्युच्यते योगी समलोष्टाश्मकाञ्चनः ॥६.८॥

jñānavijñānatṛptātmā kūṭastho vijitendriyaḥ |

yukta ityucyate yogī samaloṣṭāśmakāñcanaḥ ||6.8||

自己の知識に満足した考えを持つ人、変わらずにある人

感覚器官、行動器官を統括した人、土の塊も、石も金も、全て同じように見る

こういった整った考えを持つ落ち着いた人を、ヨーギーと言います

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お金を持っていず、お金が欲しいなら私は貧しい人で、その貧しい状態が問題になり得ますが、お金を持っていたら持っていたで、それを維持し、守るという問題があります。

この様にお金持ちも、貧しい人も問題はあるのです。

お金も、持ち物も全く持たず、不足など無い(何も求めない)、何かを維持し、守ることに執着がない人は、最も良識のある人で、ただあるがままの自分自身であるサンニャーシーです。

その人がシャーストラを聞くなら、ニャーナからヴィ・ニャーナへの変換は必要なく、耳を傾け[シュラヴァナ]、理解を深めていく[マナナ]間に、疑問は解決し知識[ヴィ・ニャーナ]を得ます。

しかし、完全なアディカーリーではない人は、自由になりたい願望[ムムクシュットヴァ]も、知識に対する欲求[ジッニャーサー]があっても、分析[マナナ]と熟考[ニディッデャーサナ]、あるいは他の必要なものでニャーナをヴィ・ニャーナに変換しなければなりません。

この過程で、アートマーに関するニャーナがヴィ・ニャーナに、すなわち直の知識[アパロークシャ・ニャーナ]なります。

シャーストラは、間接的な知識[パロークシャ・ニャーナ]ではなく、事実「あなたはブラフマンです[タット トヴァム アシ]」を述べるだけです。

この世界観は事実ですから、間接的の知識にはなり得ません。

相対的に言うのであれば、ヴェーダでないと明かせないエリアは、ニッテャー・パロークシャ・ジニャーナ、永遠に間接であるエリアの知識で、ヴェーダーンタでないと明かせないエリアは、ニッテャー・アパロークシャ・ニャーナ、永遠に直である知識です。

プンニャ・パーパ、カルマとダルマの法則、5つのエレメント、3つのグナ、14のローカ、デーヴァター、イーシュワラなど、ヴェーダーンタを含むヴェーダは、大きなエリアの知識をカバーする知識体です。

パロークシャ・ニャーナは「アートマーはブラフマン」に関する理解への洞察であり、ヴィ・ニャーナとは異なります。

ニャーナをヴィ・ニャーナに変換するために「私が全体[ブラフマン]」に関するシュラッダーが、マナナとニディッデャーサナの助けとなります。

この変換の過程は、アパロークシー・カラナを意味する、直の知識に変える過程[スヴァーヌバヴァ・カラナ]と呼ばれます。

アヌバヴァとは、ヴェーダーンタでは直の知識、この知識に関して、スヴァーヌバヴァという言葉は、もはや洞察も、可能性も、信じる話題でもなく「私はブラフマンである」という事実について、直の知識があるだけです。

その疑いのない知識がヴィ・ニャーナです。