千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章08番目の詩③

ज्ञानविज्ञानतृप्तात्मा कूटस्थो विजितेन्द्रियः ।

युक्त इत्युच्यते योगी समलोष्टाश्मकाञ्चनः ॥६.८॥

jñānavijñānatṛptātmā kūṭastho vijitendriyaḥ |

yukta ityucyate yogī samaloṣṭāśmakāñcanaḥ ||6.8||

自己の知識に満足した考えを持つ人、変わらずにある人

感覚器官、行動器官を統括した人、土の塊も、石も金も、全て同じように見る

こういった整った考えを持つ落ち着いた人を、ヨーギーと言います

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ニャーナと、ヴィ・ニャーナによって、人は自分自身に満たされていて、完全であるという認識を持っている人[トゥルプタ]です。

シャンカラによって、サンジャータ・アラム・プラッテャヤと定義されました。

アラムとは、「適切な」ことや、「十分な」こと

プラッテャヤは、理解のこと

サンジャータとは、生まれた人のこと

すなわち「私は、十分満たされていて、何も欠けていない」という理解が生まれた人のことを言います。

その人は、ニャーナと、ヴィ・ニャーナによって常に幸せで、何があってもいつも満足しています。

どんな時も、自分自身が、不適切、不十分とは全く思わず、今までの全ての観念から自由です。

自分自身の栄光において、何も自分とは離れていないという意味で完全[プールナ]です。

このニャーナ・ヴィッニャーナ・トゥルプタ・アートマーという複合語[バフヴリヒ・サマーサ]の中の、アートマーという言葉は、考え[アンタッ・カラナ]を指します。

トゥルプタは、その考えが「アラム!(満たされている!)」という人。

ニャーナとヴィ・ニャーナ、洞察とシュラッダーから生まれた考え方を持つ人のことです。

この考え方(態度)は、自己についての直の知識[ヴィ・ニャーナ]に変換されたニャーナから生まれます。

ニャーナ・ヴィッニャーナ・トゥルプタ・アートマーは、賢者[ヨーギー]の定義を表すだけでなく、知識そのものの本質を明かす定義にもなります。

これがサンスクリット語の素晴らしいところです。

faviconkūṭasthaḥ

賢者は、鉄床(かなとこ)のようにとどまる人[クータスタ]とも表現されています。

職人が刀を作る時、赤く熱した鉄の塊をたたき上げる鉄の台が鉄床です。

変化する鉄の塊を何度もハンマーで打ち続けられたとしても、その台は決して変わりません。

変わらず、起こりうる変化を起こるがまま受け入れている人をクータスタと言い、アートマーのように、何ものにも動じません。

シャンカラは、ニャーナ・ヴィッニャーナ・トゥルプタ・アートマーであるその人を、あらゆる状況にも揺り動かされない人[ア・プラカムピャ]と定義しました。

この人は、カルマ・ヨーガ、デャーナヨーガのライフスタイルで、祈りや、シャマの儀式など必要な鍛錬、聖典の学びを経て完全であるアートマーの知識を得ています。

あらゆる問題が存在するのは無知ゆえで、この知識を得ると自分を妨げるものは何もありません。

その人は、しっかりしていて、揺るがない人[ア・プラカムピャ]です。