千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章08番目の詩⑥

ज्ञानविज्ञानतृप्तात्मा कूटस्थो विजितेन्द्रियः ।

युक्त इत्युच्यते योगी समलोष्टाश्मकाञ्चनः ॥६.८॥

jñānavijñānatṛptātmā kūṭastho vijitendriyaḥ |

yukta ityucyate yogī samaloṣṭāśmakāñcanaḥ ||6.8||

自己の知識に満足した考えを持つ人、変わらずにある人

感覚器官、行動器官を統括した人、土の塊も、石も金も、全て同じように見る

こういった整った考えを持つ落ち着いた人を、ヨーギーと言います

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ロープをロープに見る[ヴャーヴァハーリカ(客観的)]のでは無く、蛇を自動的に見る[プラーティバーシカ(主観的)]なら、恐れも自動的です。

日常生活は、これと同じ事が起こっています。

ロープがロープと見える、考えが整っているならば、蛇も恐れもありません。

同様に、わたしが満たされている時、切望はありません。 

金[カーンチャナ]は、同じカテゴリーの物の代表[ウパラクシャナ]です。

金だけでなく、全ての物が当てはまり、「神が存在し、私を守ってくれる」という観念も当てはまります。

多く人が「神はいるのか、いないのか」「私の神だけが本物」などに焦点を当てますが、「神とは何か?」がヴェーダーンタです。

神だけがあります。

神は、彼自身を守りますし、それはわたし自身です。

サマ・ローシュタ・アシュマ・カーンチャナである人の安全は、どんなものにも頼ってはいません。

土や石や金、全てに対し、こだわり無く平等に見ます。

金に対する賢者の態度は、石や土に対する態度と同じで、金がその人を安心させたりしません。

一般的に、金は、間違った安全の感覚を植え付けますが、実際不安な人(安全でない人)は、金があるからといって、安全になったりしません。

人は、金を資産としますから、金は、本質的な価値[イーシュワラ・スルシュティ]と、上乗せした価値[ジーヴァ・スルシュティ]両方を持ち、それこそがまるで安心感を与えます。

不安な人は、金があっても、安全にはなりません。

安全でないものは、いつも安全では無いのです。

賢者は、自分自身だけが安全であるとみなします。

安全になるために、この世界で金などを必要とせず、まさに唯一安全な人です。

この詩でクリシュナは、世界のあらゆる物に対する賢者の見方を描写し、次の詩では、様々な人に対する賢者の態度を描写します。