千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

ヨガ 勉強会  個人レッスン・出張ヨガ 私について ブログ アクセス スケジュール・予約 お問い合わせ

【ギーター】第3章17番目の詩②

यस्त्वात्मरतिरेव स्यादात्मतृप्तश्च मानवः ।

आत्मन्येव च सन्तुष्टस्तस्य कार्यं न विद्यते ॥३.१७॥

yastvātmaratireva syādātmatṛptaśca mānavaḥ |

ātmanyeva ca santuṣṭastasya kāryaṃ na vidyate ||3.17||


しかしながら自分自身の中に喜びがある人、自分自身に満足し、自分自身の中に満たされている人

その人にとって成すべき事というのがありません[17]

-

体の姿勢[アーサナ]や、呼吸の統制[プラーナーヤーマ]は、内側の探求者[ヨーギー]に一時的な喜びを体験させ、体験者[ボーギー]は楽しみのために世界を操作し、病気の人[ローギー]は、それらを楽しむことができません。

これらの3人は「何かにならなければいけない」とアートマーを考えます。

どんな「なる」も、いつも更なる「なる」を必要とするので「なる」ことはありません。

「なる」前も、「なる」間も、「なった」後も、また何かにならねばならず、問題は決して解決しません。

この不完全なものをアートマーと見なしている人は、サムサーリーです。

ところが、この詩のアートマ・ラティは、アートマーの中にいつも喜んでいる人で、どんな人も、物も、状況も必要としません。

不完全な自分自身というのはあり得ず、自分自身が幸せ、満足の本質です。

わたしが、満足の本質[プールナ・スヴァルーパ]と理解するなら、その人は自分自身の知識にしっかりと根付いた人[アートマ・ジニャーナ・ニシュタ]です。

自分自身でいて幸せ、満足であるという知識[アートマー・ニャーナ]がありますように。

ボーギーは外側の物や状況に喜び、ヨーギーは考えという物に関して喜び、落ち着かない考えを扱う為にヨーガを練習しますが、考えが落ち着いているならヨーガは必要ではありません。

夢から目覚めるなら、夢の中の世界は、私の記憶と認識する様に、アートマラティであるために、アートマーに目覚めるのです。

自分自身の知識にしっかりと根付いている人[アートマー・ニャー ナ・ニシュタ]を、アートマ・トゥルプタとクリシュナは描写します。

満足が自分自身である人、その人自身が満足なので、それ以上の何も必要とはしません。