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ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章09番目の詩②

सुहृन्मित्रार्युदासीनमध्यस्थद्वेष्यबन्धुषु ।

suhṛnmitrāryudāsīnamadhyasthadveṣyabandhuṣu |

साधुष्वपि च पापेषु समबुद्धिर्विशिष्यते ॥६.९॥

sādhuṣvapi ca pāpeṣu samabuddhirviśiṣyate ||6.9||

利益をもたらしてくれる人、友人、敵、知人、仲裁者、嫌われるに値する人、親戚、

サードゥや罪人に対し、見方が全く変わらないその人は、最も優れた人です。

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この詩で、ダルマ・シャーストラに規定されていることに厳密に従う人をサードゥと呼び、そうではない人を、パーパとかパーピーと呼びます。

サードゥは、どの社会にも存在していて、正しいことに従い、間違ったことを避ける人です。

すべきで無いことをして、すべきことをしないことがパーパ、その行いをする人をパーピーと言います。

アルコールは、飲むべきではないと述べられているから飲まないけれど、ヘロインは摂取するというのは、シャーストラに従っていることにはなりません。

アルコールはウパラクシャナで、害を与えるもの全てを代表します。

人は、「アルコールを飲んではいけない[スラーム ナ ピベート]」というような言及、してはいけないことは、したいと思います。

反抗は、内側のプレッシャーが原因で、冒険心もありますが、それも内側のプレッシャーによるものです。

規律を守る人は良いと一概には言えず、面倒だからとか、恐れから、悪いことが出来ない人もいます。

一方、知識や理解の結果、規律を守る人の人生はご機嫌で内側のプレッシャーもありません。

問題は反抗ではなく、その背景にあるプレッシャーです。

実際、人は皆反抗者で、スワミになる者も反抗者です。

インド人の母親は自分の息子をスワミにしたいとは望まず、母親は皆、スワミを尊敬を示し、ビクシャーやダクシナしますが、それは他人の息子である時に限ります。

反抗は、内側にプレッシャーがあることや、何らかの世界観から起こりえます。

反抗的な性質は、子供時代のしつけなどが原因で、この内側のプレッシャーから、人はすべきでないことをします。

例えば窃盗犯や、マフィアのドン、完全犯罪、知能犯など様々な犯罪がありますが、ここでパーピーという言葉は、社会における、あらゆる種類の間違った行いをする人のことを言います。

私達は他者をあるがままに見ません。

グループ分けや、自分で決め付けた定義で他者を見て、他者と関わるのです。

その様に人をみなす時、人と関わっているのではなく、定義と関わっているのであって、自分の想像した世界に生きています。

その人の体裁が消えた時にしか、この問題はなくなりません。

体裁があり、自分自身の不安や痛みを抱えているので、自分を守るために、盾や仮面を着けて、常に世界と向かい合うのです。

しかし、ニャーナ・トゥルプタ・アートマーは、そのような問題はありません。

知識によって完全に自由で、完全に自分自身に満足しています。

体裁など全く無く、考えと感覚を持つシンプルな人、そのような人をサマ・ブッディと呼ぶのです。