千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章10番目の詩①

योगी युञ्जीत सततमात्मानं रहसि स्थितः ।

yogī yuñjīta satatamātmānaṃ rahasi sthitaḥ |

एकाकी यतचित्तात्मा निराशीरपरिग्रहः ॥६.१०॥

ekākī yatacittātmā nirāśīraparigrahaḥ ||6.10||

瞑想する人[ヨーギー]は、静かな場所で1人過ごし、体と考えは寛ぎ

執着や所有願望から自由で、常に考えを(瞑想の対象に)繋ぎますように。

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この詩でヨーギーは、常に自分自身についての瞑想をする人[デャーター]です。

クリシュナが与えたアドバイスは、瞑想の対象について熟考するように[ユンジータ]です。

ヨーギーが、いつも[サタタム]、瞑想の対象に考えを結び付けていますように。

サタタムとは、「永遠に」という意味もありますが、ここでは、できる限り長く、多く瞑想すべきであるということを意味します。

瞑想する場所は、静かな場所[ラハシ]です。

シャンカラの時代では、丘の上[ギリ]や洞穴[グハ]でしたから、シャンカラは、丘や洞穴で瞑想する人[ギリ・グハーダウ スティタハ]として解説しました。

また、瞑想する人は1人でいる人[エーカーキー]であるとクリシュナは言い、シャンカラは仲間がいない人[ア・サハーヤ]と言いました。

瞑想は、他者の助けが要るようなことではなく、誰も必要としません。

自分自身の仕事であり、そこではあなた自身が友人であり、自分自身で静かにします。

自分自身の友[バンドゥ]は、自分自身です。

シャンカラがア・サハーヤ(協力者)という言葉を使うのは、サンニャーシーを表すために、エーカーキーという言葉を選んだからです。

サンニャーサは、シャンカラにとって知識[ニャーナ]と同意語です。

ヨーギーは、サンニャーシーですから、当然、妻[バーリャ]を残してきています。

こうした言いつけは、単に指示であり絶対ではありませんから、その真意だけを受け取り、必要に応じて採用出来ますが、サンニャーサの生活を選択せず、家や、妻や子供から離れ、静かな場所に行くことなど出来ません。

サンニャーシーでないのであれば、家にとどまり、義務を果たさねばなりませんから、「家」を意味するグラハを使って、グラハスタと呼ばれます。

結婚した人は皆、何処に住んでいようが、仕事で家に帰れなくとも、果たすべき義務があるという意味で、家に居るのでグラハスタと呼ばれます。

家庭生活[グラハスタ]は、人生の4つのアーシュラマの1つですが、サンニャーシーになるなら、もはやグラハスタではありません。

グラハスタとは、サンニャーサの立場から見たもので、文字通り「家にとどまる人」という意味なのです。

サンニャーシーになる時、離婚という観念はなく、結婚は目的を果たし終え、(情緒的に)成熟し完成したということです。

どちらもお互いを必要とはせず、両方がサンニャーシーですから、家を男性が出て、女性は家に残りサードゥのように過ごします。

サンニャーサは、選ぶものではなく究極のゴールなのです。

静かな場所に1人、ヨーギーの資質を持つ人は絶えず瞑想ができますが、家庭を持つ人は不可能ですから、クリシュナはまずカルマ・ヨーギーについて述べてから、瞑想の生活を送るサンニャーシー[デャーナ・ヨーギー]について話します。