千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章10番目の詩③

योगी युञ्जीत सततमात्मानं रहसि स्थितः ।

yogī yuñjīta satatamātmānaṃ rahasi sthitaḥ |

एकाकी यतचित्तात्मा निराशीरपरिग्रहः ॥६.१०॥

ekākī yatacittātmā nirāśīraparigrahaḥ ||6.10||

瞑想する人[ヨーギー]は、静かな場所で1人過ごし、体と考えは寛ぎ

執着や所有願望から自由で、常に考えを(瞑想の対象に)繋ぎますように。

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デャーナ・ヨーギーは、所有から自由な人[ア・パリッグラハ]と描写されます。

パリッグラハは、蓄える、収集するという意味で、それは誰もがある程度抱える病気です。

物を手放すことは難しく、人は集め続け、それらを手放しても更にまた集め続けます。

手放す能力を常に保ち続け、この事実に気づき、注意を向けている人をア・パリッグラハと呼びます。

ア・パリッグラハという語が、物を集めることから自由だと考えられている人[サンニャーシー]に、どのように当てはまるかをシャンカラは議論しましたが、サンニャーシーでも集める傾向はあります。

1人でも、所有に関しては、ア・パリッグラハではないかもしれませんから、絶えず物を手放し、収集癖を遠ざけます。

ア・パリッグラハは、物を集めたいという欲望からも自由なのです。

物を収集する癖は、サムサーリーに共通する特徴です。

この癖があり、物は集まる傾向もあるので、サンニャーシーは常に、ア・パリッグラハの状態を維持します。

人が、全ての必要な資質を持ち、考えを瞑想の対象に結び付けますように[アートマーナム ユンジータハ]とクリシュナは言いました。

言い換えれば「瞑想しますように」と言うことです。

クリシュナのアドバイスは、サンニャーシーに向けた言葉の様ですが、実際、全ての人がエーカーキーで、誰にでも当てはまる言葉です。

結婚し、家庭を持っていたとしても、少なくとも目を閉じたときは1人[エーカーキー]です。

自分が父親、母親、娘や息子と思うなら、私はエーカーキーではありませんが、あらゆる義務や役割から自由な時、私はエーカーキーです。

全ての役割は、まるで私の内側にあるようです。

ただ、エーカーキーであるため、自分自身であるために、瞑想する時、役割や、それに伴う問題を落とします。

シンプルな人[エーカーキー]、瞑想する人[デャーイー]、ヨーギーであるために、自分自身の役割を脱ぎ捨てます。