千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章20番目の詩②

कर्मणैव हि संसिद्धिमास्थिता जनकादयः ।

karmaṇaiva hi saṃsiddhimāsthitā janakādayaḥ |

लोकसङ्ग्रहमेवापि सम्पश्यन्कर्तुमर्हसि ॥३.२०॥

lokasaṅgrahamevāpi sampaśyankartumarhasi ||3.20||

実際行いによってのみ、ジャナカ王や他の人は自由を得ました

また適切でない生き方に陥いることから人々を守るという

望ましい状況をだけを見て、あなたは行いをしなければなりません[20]

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ジャナカ王は、賢者で、学者[シュロートリヤ]でしたが、隠退[サンニャーサー]のライフスタイルではなく、家庭人[グラハスタ]、カルマ・ヨーガのライフスタイルで智慧を得ました。

カルマは、モークシャをもたしませんが、モークシャに反してはいません。

モークシャは既に成し遂げられている事実です。

自分自身は既に解き放たれていて[ムクタ]、知識のみが真実を認識させます。

この認識の為の、考えの準備には多くの方法がありますが、自由を得るための方法は知識です。

知識はいつもあるがまま(真実)で、知識が何かを「させたり」「もたらしたり」しません。

「ポット」という対象物の知識はあるがままで、土のポットは、真鍮のポットでは無いように、知識がポットの本質を変えることは出来ず、その本質を理解できるだけです(行いで何かするものではない)。

知るとは、行いではありません。

それは、NO CHOICEで、目という知識の道具があるなら色を見る様に、道具があるなら知識は自動的に起こります。

モークシャは自分自身が解き放たれている[ムクタ]という事実です。

モークシャは既に自分自身の中に成し遂げられているので、ジャナカ王の様にカルマを放棄することなく、この知識を得られるのです。

カルマが、ラーガ・ドヴェーシャを中和する為でなく、それらを満たす為になされるなら知識に反しています。

この様なカルマは間違いなく実際に束縛しますが、これはクリシュナがここで述べるカルマではありません。

彼は、カルマ・ヨーガの態度で成されるべきカルマについて話していました。

このカルマは知識が起こる為に必要な、ある種の考えを得るためのヨーガです。