千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章23番目の詩

यदि ह्यहं न वर्तेयं जातु कर्मण्यतन्द्रितः ।

yadi hyahaṃ na varteyaṃ jātu karmaṇyatandritaḥ |

मम वर्त्मानुवर्तन्ते मनुष्याः पार्थ सर्वशः ॥३.२३॥

mama vartmānuvartante manuṣyāḥ pārtha sarvaśaḥ ||3.23||

パールタよ!もし私が行いに従事しなければ、それは怠惰ではないのに

人々は、一様に、私を模範にして同じ様にするでしょう[23]

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「私が、何も活動しないなら、全人類が、私と同じ様に何もしなくなる」と、クリシュナはアルジュナに言いました。

人々は、他のことなら、クリシュナに従わないにしても、何もしないことは、明らかに真似するのです。

「クリシュナが、座っているなら、私達も座ろう。活動することが何の役に立つの?このサムサーラの生活は、役に立たないんだから何もしない方がいい。行いをする人で、何かを成し遂げた人は、いないのだから。」

この様な考えでは、もちろん、ますますタマスになります。

「様々な治療を受けても、結局皆、死んでしまうのだから、私はどんな治療も受けない」と言っているのと同じ様なものです。

あるいは「食べることで、時々問題を引き起こすからから食べない」「話をすれば、口論になるから、話さない」と言うのと同じです。

問題になるから、単に話さないのであれば、実際に問題は解決しません。

外に向けて話してなくとも、明らかに内面で話しています。

かつては、他者に話していて、今は独り言を話しているのです。

話をして、問題があるにしても、何も話さないことでは解決しません。

何もしない事はいつも簡単に見えるので、クリシュナが何もしなかったなら、皆が真似ることを知っていました。

どんな人も、自分自身の意思に基づき行動し、都合の良いこと、楽しいことを求め、辛いこと、面倒なことは避ける傾向にあります。

一般に人々は、何もしないこと(パジャマ・アティテュード)が、全ての行いの中で最も喜ばしいと考えがちです。

面倒なこと、辛いことを避け、喜ばしいことだけをするのです。

しかし、この路線を続けるなら、人生は結果として辛い状況で満たされます。

辛いことを避け、喜ばしいことだけをしてきたからです。

辛いことを後回しにし続ける人生なら、辛いことだけがあり、行き詰まるのです。

喜ばしいことだけをし、辛いことは成されません。

しかし本来、すべき行動が、辛いものである必要などありません。

ヨーギーの視点からは、自分の進む道に辛いことなどなく、ただ、するのに喜ばしいことだけがあります。

アヴァターラであるクリシュナが、お手本を示し、行いをする理由が述べられました。