千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第3章25番目の詩②

सक्ताः कर्मण्यविद्वांसो यथा कुर्वन्ति भारत ।

saktāḥ karmaṇyavidvāṃso yathā kurvanti bhārata |

कुर्याद् विद्वान् तथाऽसक्तश्चिकीर्षुर्लोकसङ्ग्रहम् ॥३.२५॥

kuryād vidvān tathā'saktaścikīrṣurlokasaṅgraham ||3.25||

バーラタよ!行いの結果に執着する知識を得ていない人達が、行いをする様に

人々を守りたい願望を持つ、執着のない賢者は行いをするでしょう

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賢者が情熱を持ちつつも、切望と心配せず行いをするのは、 イーシュワラの理解があるので、すべき事を自然と選びます。

賢者は、結果に対する心配なく、有頂天にもならず平静に結果を受けります。

結果を期待せず、行いをすることなど出来ません。

成さねばならない[カルタッヴャ]行いにも目的があり、私はただ行いを計画し、それを行い、それをし続けることだけが出来ます。

しかし、その目的が達成されるかどうかの結果は、私の手の内にはありませんから、予測できません。

アルジュナがヴィッドヴァーンなら、結果に執着する人と同じ情熱で、すべき事を切望や心を痛めること無く行うでしょう。

失わうことなど何も無く、実際、人々を守るなら多くのことが得られるます。

利益など賢者にはありませんが、悪いことも無いのです。

「人々が守られますように、そして利益を得ますように。」

ここで語られている願望とは、人々を守ること[ローカサングラハ]

それを持つ人をここではチキールシュ(何かを行いたい人)と呼びます。

私が全てと知る賢者は、得ることも、成し遂げることも何もありませんが、人々が、破壊的な道に陥ってしまうことを望みません。

ですから、世界に恵みをもたらし、世界にお手本として役立つために行いをするのです。

実際クリシュナは、戦場でアルジュナの馬車を運転しています。

馬車の前の席に座るクリシュナは、アルジュナに向けられた矢は、クリシュナの頭や肩を横切るので、クリシュナが撃たれる可能性は多分にありました。

皆、武器を使いますが、御者は、武器を持たず命の危険を覚悟に運転します。

大きな危険を請け負ってでも、その役割を果たすのは、 秩序[ダルマ]を守るため、そしてそれ人々を守るためと、アルジュナに言っているのと同じでした。

ダルマそのものは、守られねばならないものではなく、実際、守られなければならないのはダルマに従う人々[ダルミー]です。

ダルマが守られなければならないと言われる、その意味は、人々が守られなければならないという事でした。

クリシュナや、アートマーの知識を持つ者は「成されねばならない行い」が無いことが、明らかにされました。

カルマをし続けねばならないのではなく、アートマヴィットが行うことは、世界に恵みを与えるだけの為です。

人々の利益のためだけに、何をすべきかを決めなさい、とクリシュナはアルジュナに話しました。

アルジュナが行いをせず、間違ったお手本を示すなら、他の人たちは混乱させられますから、アルジュナが、行わねばならない事は何もない[カルタッヴャム ナースティ]と人々に言うなら、それは間違っています。

自分自身の知識を既に持つ人へのアドバイスの言葉として、次の詩でもこの話題がクリシュナによって繰り返されました。