
यं सन्न्यासमिति प्राहुर्योगं तं विद्धि पाण्डव।
yaṃ sannyāsamiti prāhuryogaṃ taṃ viddhi pāṇḍava।
न ह्यसन्न्यस्तसङ्कल्पो योगी भवति कश्चन॥६.२॥
na hyasannyastasaṅkalpo yogī bhavati kaścana॥6.2॥
パーンドゥの息子よ。彼らが、手放すこと[sannyāsa]と言うそれをカルマ・ヨー ガであると知りなさい。(天国などのように、限られた結果に対して)欲望を手放して いない人は、カルマ・ヨーギーではありません。
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真のカルマ・ヨーギーとは、単に行いを止める人ではなく、欲望の源泉である「サンカルパ」を手放した人のことです。
お金や地位、プンニャへの執着を「サンカルパ」と呼び、これを手放すことがヨーガの核心です。
今までは安全[artha]、喜び[kāma]に価値を置いていましたが、今はダルマ、イーシュワラに価値を置いています。
自身の「ラーガ・ドヴェーシャ」を「ダルマ」に調和させることで、自己中心的な動機を放棄します。
一方で、真のサンニャーシー[paramārtha-sannyāsī]は、知識によって「自分が行い手である」という観念そのものを手放しています。
ここでは、知識を求めサンニャーサの生活を選んだ人[karma-sannyāsī]のことを指し、サンニャーシーという言葉を使っています。
勘違いから、単に行いを手放すだけならば、その人はカルマ・ヨーギーでも、サンニャーシーでもありません。
両者とも「個人的な欲望の追求[saṅkalpa]」を手放していて、瞑想[dhyāna-yoga]に至るための不可欠な準備として位置づけられています。
◎瞑想の手段としてのカルマ・ヨーガ
瞑想[dhyāna-yoga]とは、考えが対象に一点集中し続ける状態を指しますが、これは単に意志の力だけで成し遂げられるものではありません。
その前段階として、カルマ・ヨーガによる「考えの準備」が不可欠です。
考えがそれ自体で留まること[nididhyāsana]、瞑想の対象に留まれること[upāsanā]がデャーナ・ヨーガです。
モークシャという目的に向かって、カルマ・ヨーガが「外側の準備[bahiraṅga-sādhana](準備手段)」、デャーナ・ヨーガが「内側の実践 [antaraṅga-sādhana]」として機能し、両者は密接につながっています。
