千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

ヨガ 勉強会  個人レッスン・出張ヨガ 私について ブログ アクセス スケジュール・予約 お問い合わせ

【ギーター】第6章03番目の詩

आरुरुक्षोर्मुनेर्योगं कर्म कारणमुच्यते ।

ārurukṣormuneryogaṃ karma kāraṇamucyate |

योगारूढस्य तस्यैव शमः कारणमुच्यते ॥६.३॥

yogārūḍhasya tasyaiva śamaḥ kāraṇamucyate ||6.3||

熟考の性質[dhyāna-yoga]を得たいと願う、識別のある人のためには、 カルマ・ヨーガが方法手段であると言われます。すでにヨーガを得た人には、自分自身の知識[śama]のみが道具になると言われます。

-

瞑想[dhyana yoga]を深めたいと望む人[ārurukṣu]にとって、その準備段階として不可欠な手段[kāraṇa]は、カルマ・ヨーガです。

瞑想を妨げる根本的な原因は、自分の中にある好き嫌いの感情[rāga- dveṣa]にあります。

この感情の波に振り回されない心の静寂を得るためには、日々の行いを通じてそれらを適切に扱うカルマ・ヨーガの実践が、唯一の確かな道となります。

◎瞑想は、意志を伴わない

瞑想は意志で強制できるものではなく、考えの準備が整った時に自然に起こるものです。

この準備を整えるための手段[sādhana]が カルマ・ヨーガです。

カルマ・ヨーガの生き方を通じて熟考する性質を養った人は、ヨーガに到達した人[yoga-ārūḍha]と呼ばれます。

この段階に至ると、知識によってあらゆる活動を離れ、手放した状態が培われます[śama=sannyāsa]。

外側の手段であるカルマ・ヨーガと、内側の手段である デャーナ・ヨーガは密接に関わっており、行いを通じて静寂を培うプロセス全体が、真の自由へと繋がっています。

◎知識によってのみ、完全に手放すことが可能

ヨーガに到達すること[yoga-ārūḍha]の決定的な手段は、行いから完全に引き下がること[śama]であり、それは手放すこと[sannyāsa]と同じ意味を持ちます。

これらは単なる活動の停止ではなく、知識によってのみ可能です。

賢者[jñānī]が yoga-ārūḍha と呼ばれるのは、カルマ・ヨーガによって賢者になったからではなく、知識を得たからに他なりません。

シャンカラも説いている通り、知識以外に行いから自由になる道はありません。

ここで言う「手放すこと」とは、形として全ての行いをやめることではなく、知識の観点から「自分は行い手ではない[a-kartṛtva]」という真実を理解することです。

したがって、ここでのシャマ[śama]は本質的に知識そのものを指す言葉です。

favicon3つのシャマ(シャーンティ)

1.熟睡中、ニルヴィカルパサマーディ(考えが現れてない)

2.考えの習性に気づける隙間(考えが現れている)

3.全ての行いから引き下がる[शमः 1/1 = उपशमः 1/1 सर्वकर्मभ्यः 5/3 निवृत्तिः 1/1 ]