千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】Introduction③

2021-06-19

世界はあなたの問題の原因ではありません

あなたを不満足にするのは、ありとあらゆる時間に限られたもの、すなわち世界では無く、あなた自身です。

そのことをギーター18章を勉強し見ていきます。

唯一の解決法は「私自身が安全であり、満たされている」ことを知ることです。

しかし、あらゆる安全と喜びがあっても、自分自身にうんざりしているのに、それら無しでどうやって自分自身に満足するのでしょう?

ここが、ヴェーダーンタの教えが必要なところです。

あなたの問題は、何かが不足していることではなく、あなたは何も不足していない。

それを知らないことです。

ヴェーダーンタの世界観では、あなたは、自分自身で自分を完全に受け入れられるので、あなた自身が満足ではないという理由が何もありません。

その様に振る舞うことでもなく、信じることでもなく、事実としてそうなのです。

ここで発見し得る事実は、あなたは何も欠いていない、あなたは完全に自由ということです。

それが、あなたの姿で、ヴェーダーンタのハート、教えのハートです。

無知を取り除くまでの、しばらくの間は、ヴェーダーンタの世界観は約束という状態に留まります。

あなたが問題であなたが解決です

ヴェーダーンタは問題を定義し、あなたが問題なら、あなたが解決だと言います。

2種類の問題があり、1つは問題の外に解決があるもの、もう1つは問題そのものの中に解決があるものです。

言い換えるなら、「行い」で解決する問題と「知識」で解決する問題です。

例えば、寒いなら服を着て、日差しを浴びるなど解決は問題の外にあり、飢えも同様、食べることで飢えを満たすので、解決は外にあります。

しかし、ジグゾーパズルの解決は、パズルそのもの中に解決があり、問題の中に解決がある、ということは、実際には問題はありません。

唯一問題はあなたですから、解決もあなたです。

あなたが何か理解していない時、それは問題ですが、理解するなら問題は無く、理解が解決になります。

ヴェーダーンタの世界観で、あなたは実際問題など無く、自分自身とは受け入れられるものです。

人間の持つ唯一の問題は、自分自身を受け入れられないことです。

ですから、あなたが問題なら、あなたが解決です。

さあ、あなたの追求は、あなた自身を知るということに集中されます。

ダルマ、アルタ、カーマを1つ1つ見分け、分析していくことは、人間の根源の問題へとその人を導いていきます。

この人間の問題を見通せたなら、アルタ、カーマ、ダルマを引き続き追い求めるにしても、問題解決への特別なステップを踏んだことになります。

この根源の問題の解決が、モークシャです。

モークシャを得た人も、アルタ、カーマ、ダルマを求めることを選ぶなら、もう混乱は無いので、それらを選ぶ自由を持っています。

これが本当の自由で、アルタ、カーマ、ダルマを求めることからの自由ではありません。

全ての目的には行いがある

人間は、目的無しに、決して意図的な行いを始めません。

自発的、つまり意図的な行いは、いつも欲求を含みます。

その欲望は、行い自体にあるのではなく、結果が欲望の対象です。

あなたが既に持っているものは、持っているということを知っているなら、欲望の対象になることはありません。

ところが、持っていたとしても、それを持っていることに気づいていないなら、それを欲しがるかも知れません。

既に持っているものを、望みんだりしませんが、持っていないものを望むことはいつでも出来ます。

グリーンカードや、新しい家、違う仕事、昇格、結婚や、子供、旅行など、持っていないものは望むことは出来ます。

持っていないものが、欲望の対象になり得るのです。

人[プルシャ]は、様々な目的、大抵がアルタ、カーマまたはダルマの目的を成し遂げる為の行いを始めます。

もしそうなら、尋ねられるべき重要な質問があります。

「あなたは、アルタ、カーマ自体の為に、アルタ、カーマを求めているのでしょうか?」

この質問を識別することが、普通の人生観からヴェーダの人生観へと導きます。

私が、安全や喜びを求めるのはなぜでしょう?

人生で追い求めるアルタやカーマは、アルタやカーマの為ですか?

それとも私自身の為でしょうか?

どんなものも、私の望むものは、私の為だけにあるとヴェーダは言います。

[アートマナストゥ カーマーヤ サルヴァン プリヤン ババティ]

私達は、知っていることだけを望み、知らないものは望むことが出来ません。

例えば「ガガブガン」という知らないものが、欲望の対象にはなり得ません。

知っているものだけが、欲望の対象になります。

知っている物でも、サソリや癌など、望まない物、避けたい物もあり、今は望んでいても数年先には望まない物もあります。

人は、固有の目的でアルタやカーマを求めますが、その人自身の為に求めてます。

「私の為でなく、息子の為にそう望むのです」と言うかもしれませんが、それはただ、あなたの言う「私」が少し広がっただけです。

あなたの言う「私」は、あなたの住むコミュニティにも広げることも出来ますし、宗教や国にも広めていけます。

それは、あなたの拡張したエゴです。

エゴの拡張が進めば進むほど、より健全なエゴになりますが、それでも手に入れたい結果は、いつもあなたの為だけのものです。