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ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章10番目の詩


योगी युञ्जीत सततमात्मानं रहसि स्थितः ।
yogī yuñjīta satatamātmānaṃ rahasi sthitaḥ |

एकाकी यतचित्तात्मा निराशीरपरिग्रहः ॥६.१०॥

ekākī yatacittātmā nirāśīraparigrahaḥ ||6.10||

瞑想する人[yogī]は、静かな場所で一人過ごし、その体と考えはくつろいだ状態 で、執着や所有の欲望から自由であり、常に考えを、(瞑想の対象物に)繋いでいます ように。
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この詩において、ヨーギーとは「瞑想する人[dhyātā]」を指します。

ヨーギーは、瞑想の対象に深く没頭し、考えを統合・集中させる[yuñjīta]べきです。

また、「いつも[satatam]」、可能な限り長く、頻繁に瞑想の対象と結びついているようにとクリシュナは言いました。

◎瞑想に、仲間はいりません

瞑想を行う場所は、人目につかない静かな場所[rahasi]であるべきだとされています。

シャンカラの時代には、それが丘[giri]や洞穴[guhā ]を指していました。

瞑想において最も重要なのは、物理的にも精神的にも、ひとり[ekākī]であり、 助手や協力者、代役、あるいは友人さえも必要ありません[a-sahāya]。

 瞑想は自分自身の仕事であり、自分自身が最高の友[bandhu]となります。

この「ひとり」という教えは、家族(妻など)を離れたサンニャーシーの文脈で語られることが多いです。

しかし、現代においてこれらをどう捉えるべきかについても言及されています。

丘や洞穴に行くという教えは、その真意、すなわち静寂と孤独を汲み取ることが大切です。

家族や仕事といった「義務」の中に身を置く人はグラハスタと呼ばれます。

家庭や義務を持つ人は、必ずしも家を捨てる必要はありません。

◎グラハスタ・アーシュラマは、まさにサンニャーサにその基盤を置く

グラハスタという言葉は、究極のゴールである「サンニャーサ」の視点から定義されています。

サンニャーシーが家を出るのは、結婚が破綻したからではなく、結婚の目的を果たし、精神的に成熟した結果です。

義務を果たす家庭生活は、次のステップである、林住期[vānaprastha]やサンニャーサへの準備として重要です。

クリシュナは、カルマ・ヨーギーの段階を経て、より深い瞑想の生活を送るデャーナ・ヨーギー[sannyāsa]について説いています。

瞑想を成功させるための重要な資質として、[yata-citta-ātmā]という言葉が挙げられています。

その人は、音などの外部刺激を遮断するために目を閉じ、感覚器官を休め、過去の記憶が浮かび上がっても、それに囚われず、再び瞑想の対象に集中します。

体はリラックスし、考えは集中している状態を維持します。

◎瞑想は、切望からの自由を必要とする

目を開けているときは、外の世界の出来事に意識が向くため、内面の葛藤は紛らわされます。

目を閉じると外部の助けが消え、内側にある未解決の「切望」が一気に湧き出してきます。

これが「いらいら」や落ち着きのなさの原因となります。

瞑想中に静かに座り続けるためには、「切望のない状態[nirāśīḥ]」が不可欠です。

この状態にある人は、外側に何かを求める必要がないため、内側にプレッシャーがありません。

自己に満足しているため、心は自然と明るく穏やかです。

この資質は、日々の生活の中で「結果への執着」を手放すカルマ・ヨーガを実践してきた結果として得られるものです。

シャンカラによれば、真のサンニャーシーとは、単に家を離れた人ではなく、このように「内側の切望から完全に自由になった人」を指します。

この内面的な成熟があって初めて、瞑想は成立します。

◎所有することから自由とはどういう意味か

アパリッグラハ[a-parigraha]とは単に物を持っていない状態ではなく、「集めたいという欲望」そのものから自由であることを指します。

人は物を手放すことを恐れ、次々と集めてしまいます。

この習慣から自由である人こそが、真の「ボス」です。

たとえ隠退して一人でいても、心に収集癖が残っていれば真のアパリッグラハではありません。

絶えず手放し続ける意識が必要です。

これは、サンニャーサだけでなく、グラハスタにも向けられた普遍的な教えです。

瞑想中に「父」「母」「社員」といった社会的な役割を握りしめている限り、真に「独り[ekākī]」にはなれません。

目を閉じた瞬間、それらすべての義務や属性を脇に置きます。

ただ「シンプルな人(basic person)」が瞑想する人です。

◎瞑想には、ある鍛錬が必要

瞑想そのものは「知識」を得るための手段ですが、その瞑想を成立させるためには、日々の生活習慣を整えることが不可欠で、これらは「二次的な手段」と呼ばれます。

どこに、どのように座るかという物理的な準備から始まります。

安定した姿勢[āsana]は、安定した考えを生む土台となります。

クリシュナは、極端を避けることの重要性を説いています。

食べ過ぎるなら、体を重くし、眠気を誘いますし、食べなさすぎは、活力を奪い、集中力を欠かせます[āhāra]。

どちらも「ヨーガ」ではなく、「病気[roga]」を招く原因となります。

仕事、運動、睡眠、娯楽といった日常のあらゆる行動[vihāra]が、瞑想に役立つ形でコントロールされている必要があるのです。