शुचौ देशे प्रतिष्ठाप्य स्थिरमासनमात्मनः ।
śucau deśe pratiṣṭhāpya sthiramāsanamātmanaḥ |
नात्युच्छ्रितं नातिनीचं चैलाजिनकुशोत्तरम् ॥६.११॥
nātyucchritaṃ nātinīcaṃ cailājinakuśottaram ||6.11||
きれいな場所に座席を設え、しっかり安定した
高すぎず、低すぎない、草の敷物、動物の皮、柔らかい布を重ねて敷く
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この詩の、アーサナという言葉は、瞑想する人が座るべき場所で、どの様に座るかもアーサナと呼ばれます。
瞑想の場所は、瞑想出来る気分にさせる場所が相応しいですが、少なくともきれいな場所[シュチャウ デーシェー]である必要があります。
シャンカラの解説では、静かな場所[ヴィヴィクタ]も付け加えられました。
人気がない川の側や、山、森のある場所は清閑で、瞑想状態に導きますし、自然を観察する時間も瞑想的です。
瞑想する為に、山や川に行けと言う意味では無く、自分自身で場所をきれいに設える事もできますし、どこでも静かに座れる場所にすることが出来ます。
家族は、自分の生活の一部ですから、皆が起きる前、早朝に瞑想することが出来ます。
少し早く起きるだけで、静かな場所はいつでも手に入れることが出来ますし、家が騒がしいなら、近くの公園や、別の静かな所に行けば良いのです。
クリシュナがここで言うのは、瞑想の場所[アーサナ]を整えること、相応しくするという意味で、それを所有する、つまり毎日座る特別な席を確保するという意味ではありません。
例えば席は、椅子かもしれませんが、安定[スティラ]していなければなりません。
そこから落ちない様に高すぎず、そして地面に直接座り、湿った地面や虫に悩まされないように、低すぎるべきではありません。
瞑想中、体はリラックスするので、寝てしまうこともあり、席が高すぎると、落ちてしまう恐れがあり、瞑想どころか、恐れで気も散ってしまいます。
同様にインドの密林に住む人は、特に気をつるべきことですが、地べたに座るなら、這う虫などに噛まれたりする心配があります。
瞑想する人は、標高の高いところ[アッテュッチュリタ]や、地下の洞穴[アティニーチャ]に行くべきだと考える人もいますが、クリシュナは、どちらも適していないと言いました。
約1万フィートのガンゴートリの様な標高の高い場所なら、考えを妨げるものが何も無いので、瞑想が上手くいくと思うかもしれませんが、これは、酸素不足のため考えが働かないだけです。
思考出来なくし瞑想するのではなく、思考できる状態で瞑想すべきです。
同様に、地下の洞穴は、邪魔になる音は無いにしても、酸素が足りず、考えは働かなくなります。
ですからクリシュナは、高すぎず[ナ アッテュッチュリタ]、低すぎず[ナ アティニーチャ]、言い換えれば、山頂でも地下でも無いと言いました。
そしてクリシュナは、アーサナについてチャイラ・アジナ・クシャ・ウッタラムと述べました。
チャイラは柔らかい布で、アジナは、昔の聖者が使用していた鹿や虎などの皮、クシャは草の敷物、ウッタラは、重ねるということです。
シャンカラは、逆[ヴィパリータ]、つまり一番下がクシャ、次にアジナ、一番上は、チャイラを置くように示しました。
湿った地べたで瞑想はすべきでないので、これらが述べられました。
当時の住居は泥の床で、椅子やベンチも土で作られていました。
地べたに座り、瞑想するなら、考えは正しい方向に向かうにしても、3ヵ月もすると、膝は湿気のため関節炎で、足が曲がらなくなるかもしれませんから、クシャが置かれた上に、鹿の皮のような毛皮を置きアーサナを暖かくすることが薦められました。
そして最後に、皮のザラつきを避ける為に、柔らかい布を1番上に置きます。
瞑想のアーサナを作るために、鹿を探せということではなく、ただ、ある時代になされていたことです。
鹿は、他の動物が口をつけたものには触わろうとしないので、神聖な動物だと考えられていたので、鹿の皮がよく選ばれました。
インド文化においても、誰かが口をつけた物を分け合ったりしません。
神に捧げられた食べ物は、神は実際それに触れるわけでは無いので食べられます。
同様に、先祖供養[シュラーッダ]の儀式を執り行うブラーフマナによって、先祖に捧げられた食べ物も食べることができます。
ブラーフマナに先祖が祈願され、先祖の代わりにブラーフマナが食べ物を食べます。
最後に、妻は夫が食べた後、同じ皿のものを食べ、シッシャはグルが食べた後、同じ様に食べることがありますが、これらは例外です。
また、アーサナとして使用されるべき皮は、誰かにもらったものでは無い、また殺された鹿の皮では無い、というルールがありました。
ハンターが、殺した鹿の毛皮をサードゥに与ることもあったので、サードゥは、その死んだ鹿を探し、自然死かどうか確認しなければなりませんでした。