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ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章12番目の詩


तत्रैकाग्रं मनः कृत्वा यतचित्तेन्द्रियक्रियः ।
tatraikāgraṃ manaḥ kṛtvā yatacittendriyakriyaḥ |

उपविश्यासने युञ्ज्यात् योगमात्मविशुद्धये ॥६.१२॥

upaviśyāsane yuñjyāt yogamātmaviśuddhaye ||6.12||

考え・感覚・行動器官を統括する人が、そこで考えを1つに集中する考えを作り

席に着き、心の浄化のために、瞑想を練習しますように

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前の詩で述べられたように座り、瞑想の対象[dhyeya]を目の前の「ひとつのこと」に限定し、そこに考えを完全に没頭させることが重要です[ekāgraṃ manaḥ kṛtvā]。

思考の分散を防ぐプロセスを指します。

瞑想をおこなう人は、外側に向きがちな感覚器官を引き下げ、考えを対象に集中させます。

この「統制」の資質は軽視されやすいため、教えのなかで繰り返し強調されています。

◎瞑想の目的

ここでの「アートマー」は、本質的な自己ではなく、「考え[antaḥkaraṇa]」を指します。

真の自分自身[sac-cid-ānanda-ātmā]は、 質から自由ですから、清める[viśuddha]必要がありません。

自分自身の知識を得ることは、探求[vicāra]でしかできず、それにはアートマー・ヴィシュッディが必要です。

考えは、ラーガ・ドヴェーシャや、古い記憶に縛られているため、浄化が必要です。

ラーガ・ドヴェーシャは、束縛から解放される必要がありますし、潜在的に眠っている古い記憶[kaṣāya]は上手に処理されます。

静かな池の底にある腐敗物がガスを出し、表面に泡となって現れるように、瞑想で心が静まると、隠れていた古い記憶が不意に湧き上がってきます。

瞑想は、これらを表に出し、整理するプロセスでもあります。

瞑想には、祈りから熟考へと向かう流れがあります。

祈りの瞑想は、質を伴うブランマン[saguṇa-brahman]に集中し、一方、熟考瞑想は、質のないブランマン[nirguṇa-brahman]に集中します。

瞑想は、祈りの瞑想から始まり、熟考の瞑想で終わるので、その両方を含みます。

◎考えがあなたを妨げないこと

瞑想によってある程度の平静さ[śānti]が得られたとき、脈絡なくふと湧き起こる記憶や思考は、池の底から上がってくる「カシャーヤ」として理解されます。

これらは単なる過去の残像であり、今のあなたを脅かすものではありません。

通常、人は湧き起こった思考を「自分そのもの」と捉えてしまいます。

しかし、瞑想によって整った状態では、自分と「思考の泡」との間に適切な距離を見出すことができます。

思考を無理に消そうとしたり、妨げだと感じる必要はありません。

泡が湧き、消えていくのをただ眺めるだけで十分です。

考えの浄化[ātma-viśuddha]とは、自分が思考の「目撃者[sākṣī]」であることを理解するプロセスです。

この姿勢によって、考えは自然に整理され、きれいになっていきます。

◎どのように、祈りが考えをきれいにするのか

祈りは、過去の出来事や自分の人生を「喜んで受け入れる態度」を育みます。

「こうあるべきだった」という後悔や執着を癒やし、考えの刻印[saṃskāra]や、未消化の記憶を解き放ちます。

自分自身を体や考えと同一視してしまうことは、モークシャを求める者にとっての「不純[a-śuddhi]」であり、最大の障害[pratibandhaka]です。

熟考は、この誤った同一視を取り除くために役立ちます。

ここでの熟考は、新たな知識[jñāna]を得るためというよりは、むしろ不純な見方を取り除き、考えを整える[ātma-viśuddha]のために行われます。

◎瞑想が探求を促す

自己についての知識[ātma-jñāna]は、「プラマーナ・ヴィチャーラ」によってのみ生じます。

ヴェーダーンタの教え[pramāṇa]が働き、探求によって培われていく思考の形[vṛtti-jñāna]が無知を破壊します。

瞑想そのものが知識を生み出すわけではありません。

瞑想の役割は、知識の妨げ[pratibandhaka]を取り除く考えの浄化[ātma-viśuddhi]です。

ラーガ・ドヴェーシャや、カシャーヤ、そして分かったつもりの、誤った確信[viparīta-bhāvanā]などを浄化します。

探求者は、知識を受け取るにふさわしい、静かで整った考え[antaḥkaraṇa-viśuddhi]の為に瞑想します。

人生において重要な行いですから、クリシュナは「瞑想をしますように[yogam yuñjyāt]」と言います。

ヴェーダーンタは単に理論で、知識を生み出すのは瞑想の練習[dhyāna]だと、一般的に考えられていますが、そうではありません。

「瞑想によって考えを準備」し、プラマーナ・ヴィチャーラによって「知識を得る」、この両方があって、初めて自分自身の無知が取り除かれるのです。