千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章37番目の詩

अर्जुन उवाच ।
अयतिः श्रद्धयोपेतो योगाच्चलितमानसः ।
अप्राप्य योगसंसिद्धिं कां गतिं कृष्ण गच्छति ॥६.३७॥

arjuna uvāca |
ayatiḥ śraddhayopeto yogāccalitamānasaḥ |
aprāpya yogasaṃsiddhiṃ kāṃ gatiṃ kṛṣṇa gacchati ||6.37||

アルジュナは言いました。
クリシュナよ。聖典を信頼し、その努力が不適切であるゆえに、ヨーガから離れ
ヨーガで成功を収めることなく、考えが彷徨う人はどんな結末になるでしょう?

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この詩は、アルジュナの空想です。

アルジュナは、施し[bhikṣu]で暮らすことは、自由[mokṣa]を得るであろう良い投資ですから、安全[artha]、喜び[kāma]、dharmaを完全に手放すと言いました。

◎ある種の努力も必要

聖典の宇宙観に完全なśraddhāを持つなら、自分自身の知識を得る可能性は確かにあります。

この知識を得ることを望み、サンニャーサの生活を選択し暮らしますが、その知識を得られず、失望してしまうと言うのです。

教えが適切でないのか、十分な洞察力がないのか、やり残した仕事や障害が過去からあるなど、何かが知識を得るのを妨げています。

śraddhāはあっても、適切な努力をしない人[ayati]なのです。

本来、サンニャーシーは、正しい努力をする力のある人[yati]ですが、アルジュナが語るサンニャーシーは、適切な努力がなく、何がどうなっているかを知りません。

努力が適切でないと、問題が続きます。

たくさん瞑想をしたかもしれませんが、ただ年をとり、疲れて、不満がたまります[calita-mānasa]。

「知識を得る前に、肉体を離れるなら、何を得るのか?[kāṃ gatiṃ  gacchati]」と、アルジュナは疑問を持ちました。

知識を得ることを期待し、喜びをもたらす全ての行いを手放したので、天国の喜びもありませんし、知識も手に入りません。

カルマをせず、目を閉じて座って時間を過ごしましたが、ただ眠っていただけかもしれません。

眠ることでは、何も達成されませんから、適切な努力をしない人[ayati]は、サムサーラの喜びも無ければ、次の人生のプンニャを得ることもありません。

自由という知識を得ることなど到底できないのです。

◎その人は、ただ失敗に終わるのか

 適切な努力をせず、死んでしまったサンニャーシーは、モークシャもプンニャもなく、 彼はどこに行くのでしょう?

これは、アルジュナの空想に過ぎませんが、彼は、おそらくサンニャーシーになるつもりだったのでしょう。

アルジュナは、聖典の言う、サンニャーサとカルマ・ヨーガをはっきりと理解していませんでした。

知識とモークシャの間の繋がり[sādhana-sādhya-sambandha]があり、その世界観にシュラッダーがあり、全てを手放しヨーガの生活をしているけれど、モークシャである知識を得られない人はどうなるのか知りたいと、アルジュナは思いました。

サムサーラの喜びも、あの世での喜びも手放し、長きにわたり瞑想してきましたが、今、年老いて死を迎えます。

長い間追求してきた知識も、この世で得られる希望の全てを手放しています。

その人はどうなってしまうのでしょう?