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ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章44番目の詩

पूर्वाभ्यासेन तेनैव ह्रियते ह्यवशोऽपि सः ।

जिज्ञासुरपि योगस्य शब्दब्रह्मातिवर्तते ॥६.४४॥

pūrvābhyāsena tenaiva hriyate hyavaśo'pi saḥ |

jijñāsurapi yogasya śabdabrahmātivartate ||6.44||

前世の鍛錬によってのみ、どうしようもなく、その人は運ばれます

ヨーガの知識を強く求める人であっても、その人はヴェーダ[karma-kāṇḍḥa]を超えます
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「知識を得ない場合、その人はどうなるのか?」というアルジュナの疑問を、この詩でクリシュナは取り除きます。

子供の時代、リカちゃん人形に、その後、繁華街への憧れを抱いたりと、人がはまってしまう人生のストーリーは、数えたらキリがないのに、どんな風にyoga-saṁskāraのチャンスがあるというのか?

yogaに興味がなくとも、saṁskāraはあるので、yogaは次々と起こり、避けようとしても、抵抗するすべなく導かれる[avaśaḥ api hriyate]と、クリシュナは言います。

なぜなら、前世の鍛錬、以前yogaの追求があったからです。

探求者になるために何かする必要などなく、以前の追求が、彼を導くのです。

例え興味が無くても、コントロールできません[avaśaḥ]。

まさに前世の鍛錬によって[tena pūrva-abhyāsena eva]、yogaに導かれ、それ以外には興味を持てず、自分自身の知識を知りたい、悟りたいと思うのです。

この詩のśabdabrahmaは、ヴェーダのカルマの部分のことですが、その人が、それを超えるためには、シンプルに好奇心からの願望で十分だと、クリシュナは言います[śabdabrahma-ativartate ]。

あらゆるカルマを手放し、サンニャーシーとなり、知識の追求を続けるきっかけになります。

前半のヴェーダ(全ての体験)に対する平静さ[vairāgya]を識別によって見い出し、ヴェーダーンタ以外には、興味を持ちません。

それが、その人にとって自然なことなのです。

◎いったん、自分自身の探求が始まると、後戻りがない

いったん自分自身の追求を始めると、後戻りも、悪い結果もなく、自分自身の知識が得られるまで、追求は続き、何かに振り回されたりしないと、クリシュナは保証しました。

クリシュナの言葉は知識の道具[pramāṇa]であり、それを支えるロジックはあっても、正しいか否かを確かめる他の方法はありません。

次の詩で、クリシュナは、この追求の究極の結果について、説明します。