प्रयत्नाद्यतमानस्तु योगी संशुद्धकिल्बिषः ।
अनेकजन्मसंसिद्धस्ततो याति परां गतिम् ॥६.४५॥
prayatnādyatamānastu yogī saṃśuddhakilbiṣaḥ |
anekajanmasaṃsiddhastato yāti parāṃ gatim ||6.45||
ところが、意志によって努力するヨーギーは、多くの生(過去)で蓄積された
すべての不純物が浄化され、究極の目的を達成します
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「全ての生き物の中に、samaを見ることがyoga(32番)」の続きが、この詩で更に述べられます。
この詩で、この世界観を持つyogī に関して、まず、努力をする人[yatamāna]であると述べています。
努力という意味を持つprayatnaは、ここでは、意志を指すとシャンカラは述べています。
達成が難しいと言われるモークシャですが、あらゆる困難があっても、その人には素晴らしい意志があります。
また、このyogī は、あらゆる不純を取り除いてきた人[saṃśuddhakilbiṣaḥ]で、カルマ・ヨーガの生き方によって、罪悪感などの心理的な結果、全ての不純なもの(rāga-dveṣaやpāpa)を浄化してきた人です。
この浄化は、多くの生まれを必要とすると、クリシュナは言います。
◎探求者であるということは、ありふれた達成ではない
探求者[mumukṣu]の体[upādhi]を得たということ、つまり、モークシャの願望を持つこと自体、ありふれた達成ではありません。
この追求に至るまでに、何度も生まれを繰り返します。
今や、その人はギーターを勉強していますから、数多くの生まれ変わり[aneka-janma]は、ただ過去に関してのものに過ぎません。
ですから、この探求を望むレヴェルまで来るために、幾度も生まれ変わりを経験した人[aneka-janma-saṃsiddha]と呼ばれるのです。
自由になりたいという思い自体は、aneka-janmaから生まれるものです。
この知識を得るために、適切な考え[antaḥkaraṇa]と、適切な体[upādhi]を得なければなりません。
これら全てのことが、何度も生まれ変わった後で、今、この人に成し遂げられました。
それぞれのjanmaで、その人は、知識の追求に相応しいyoga-saṁskāraを少しずつ集めてきたのです。
何度も生まれ変わる間に、適切なyoga-saṁskāraを集めることは、長年かけてクーポンを集めた後、大金持ちになるようなことに少し似ています。
全く異なる種類の財産である、yoga-saṁskāraを集めます。
その人は、優秀な節約家のように、こつこつ集め、蓄え、aneka-janma-saṃsiddhaになるだけのpuṇyaをようやく集めました。
それ故[tataḥ]、知識を得るに相応しい人なのです。
考えが純粋で[saṃśuddha-kilbiṣa]、変わることのない等しいものであるという世界観を得た人[saṃsiddha]と言われますから、saṃsiddhaという言葉は、明確な知識を持つ人という意味で捉えることもできます。
この明確な知識は、yoga-saṁskāraが蓄積された、多くの生まれの結果ですから、aneka-janma-saṃsiddhaと呼ばれます。
◎決して終わりのないゴール
その人は、最も卓越したゴール[parā-gati]を得たと言われます。
全ての目的は、終わりを迎えますが、モークシャは、決して終わることのないゴール、それは、そこから戻ることのないゴールです。
終わりを迎えるゴールは、本当のゴールではなく、円の一周です。
サムサーラの輪の中を回り続け、抜け出すことはなく、ただ同じ場所に戻り続けているに過ぎません。
モークシャを、二度と戻ることのない終わりとして区別するために、ゴール[gati]という言葉に、形容詞[parā]が付いています。
モークシャは、自分自身の知識を探求する人が得る最も卓越した[parā]ゴールであり、そこから戻ることはありません。