किं कर्म किमकर्मेति कवयोऽप्यत्र मोहिताः ।
तत्ते कर्म प्रवक्ष्यामि यज्ज्ञात्वा मोक्ष्यसेऽशुभात् ॥४.१६॥
kiṃ karma kimakarmeti kavayo'pyatra mohitāḥ |
tatte karma pravakṣyāmi yajjñātvā mokṣyase'śubhāt ||4.16||
例え賢者達(学者)ですら、行いとは何か?また、行いが無いことの本質は何か?に関して混乱しています
あなたがそれを知る事で、不吉なもの[saṁsāra]から解放されるよう、行いについて私があなたにお話しましょう
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クリシュナはアルジュナに、カルマとアカルマの真の本質について教えようとしています。
この議論の出発点は、たとえ賢者[kavi]でさえ、カルマとアカルマについて混乱しているという事実です。
ここでいうkaviとは、単に情報を記憶しているだけでなく、主題を完全に理解し、それに関連するあらゆる細かな情報や側面を頭の中で整理し、保持できる能力のある人、すなわち聡明な人[medhāvī]を指します。
クリシュナは、カルマとアカルマを単に「行いが為されること」と「行いが為されないこと」と捉えるのは不十分であると述べています。
なぜなら、たとえ知識のある人でもこの主題については明確ではないため、より深い理解が必要だからです。
そのため、クリシュナはカルマとアカルマの両方を含めて「カルマ」という言葉で扱い、「カルマとは何かをあなたに教えよう[te karma pravakṣyāmi]」とアルジュナに伝えます。
シャンカラの解釈によると、カルマを真に理解するためには、アカルマの理解も不可欠です。
この理解を通じて、人は不吉であること[a-śubha]であるサムサーラから解放され、モークシャという吉兆な終わり[śubha]を得られると言われます。
「a-śubha」は、頭の中の疑念や問題も意味します。
これらの疑念は、カルマとアカルマの性質が完全に理解されたときに初めて解消されます。
◎アートマーに全ての理解は完結する
カルマそのものの理解は、アートマーとアナートマーの理解に他なりません。
あらゆるトピック、例えば平静[śānti]、幸せ[sukha]、苦しみ[duḥkha]、世界[jagat]、名前や形、思考などを深く分析すれば、最終的にはすべてアートマーへと解消されます。
全てが繋がっていて、無関係なものがありませんから、どこから分析を始めてもアートマーに行き着きます。
カルマに関する疑念を取り除くことは、永遠にサムサーラを取り除くことにつながるのです。
この疑念からの解放こそがモークシャです。
問題の核心である「無知」が解消されれば、全ての疑念は消え去ります。
さらに、その人に関連する留まっているカルマは、イーシュワラとジーヴァであるブランマン、すなわちパラマートマーが理解された瞬間に「一撃で」破壊されます。
この「一撃で」は、具体的な行為ではなく、知識によってのみ起こるものです。
「知識の一撃」によって全てのカルマが消滅します。