कर्मणो ह्यपि बोद्धव्यं बोद्धव्यं च विकर्मणः ।
अकर्मणश्च बोद्धव्यं गहना कर्मणो गतिः ॥४.१७॥
karmaṇo hyapi boddhavyaṃ boddhavyaṃ ca vikarmaṇaḥ |
akarmaṇaśca boddhavyaṃ gahanā karmaṇo gatiḥ ||4.17||
聖典によって命じられた儀式についても、禁じられた行為と、行いが無いことの本質についても知らなければならない
なぜなら、カルマの本質は理解するのが難しいからです
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この詩は、カルマの本質を理解することの重要性と難しさについて述べています。
聖典が命じる「すべき行為」、禁じられている「すべきでない行為[vikarma]」、そして「行いが無いことの本質[a-karma]」、これら3つをすべてを知る必要があります。
アカルマは単に「行いをしないこと」ではない可能性があり、「行いが無いことの本質」を意味する場合もあり、その区別を理解することが重要です。
カルマは、難解[gahanā ]であり、単に「すべきこと・すべきでないこと」として捉えるべきでもなく、その本質を深く理解することです。
gahanāは、覆われていることを意味し、これは、カルマとアカルマの話題は、混乱で覆われているということです。
もしカルマの本質を本当に理解できれば、それは知識[jñāna]へと繋がります。
すなわち、カルマの理解は、リアリティ、宇宙の真理[brahman]の理解、こうしてあるがままに繋がっている全ての物を理解することです。
カルマと繋がる全ての物事も知られなければなりません。