भूमिरापोऽनलो वायुः खं मनो बुद्धिरेव च ।
अहङ्कार इतीयं मे भिन्ना प्रकृतिरष्टधा ॥७.४॥
bhūmirāpo'nalo vāyuḥ khaṃ mano buddhireva ca |
ahaṅkāra itīyaṃ me bhinnā prakṛtiraṣṭadhā ||7.4||
土、水、火、風、空間、マナス、ブッディ、そしてアハンカーラ、このように、私のプラクルティは8つの側面で分けられます。
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全世界の原因とされるプラクルティの2つの側面があります。
パラー・プラクルリティは、いかなる結果もそれ無く生じ得ない究極の原因です。
一方、アパラー・プラクルティは直接的な原因と呼ばれ、言い換えればマーヤーと、マーヤーから直接生まれるすべてのものです。
物理的な要素は後から生じるため、その原因となる微細な要素が、ここではまずアパラー・プラクリティとして挙げられています。
この全世界は、私のプラクルティ[me bhinnā prakṛti]であり、8つの側面で分けられます[aṣṭadhā-bhinnā]
サンスクリット語で、8が「aṣṭa」、8つの側面が「aṣṭadhā」です。
ここでは、微細なエレメント[tanmātra]として、土[bhūmi]から始まる、8つの微細な要素を教えています。
タンマートラは「単にそれだけがある[tat maatra]」という意味です。
粗くなる過程では、各エレメントは他の4つのエレメントと組み合わさりますが、微細な形ではそのような結合は起こりません。
そのため、それらはタンマートラと呼ばれます。
各エレメントには独自の性質[guṇa]があり、例えば、土には独自のグナである「香り」があり、ここでは「香りのタンマートラ」が「土[bhūmi]」になるのです。
音のタンマートラ[śrotra-tanmātra]: 空間[kham]
触のタンマートラ[sparśa-tanmātra]: 風[vāyuḥ]
色形のタンマートラ[rūpa-tanmātra]: 火[analaḥ]
味のタンマートラ[rasa-tanmātra]: 水[āpaḥ]
香りのタンマートラ[gandha-tanmātra]: 土[bhūmi]
◎教えのモデル[prakriyā]
宇宙創造の方法論[ sṛṣṭi-prakriyā]というモデルは、創造そのものを解説することが目的ではありません。
その真の目的は、paraṃ brahma以外には何もないということを示すことです。
サンスクリット語には、創造の過程を示す sṛṣṭi-prakriyā 以外にも、真理を教えるための様々な方法論[prakriyā]があります。
avasthā-traya-prakriyā:3つ状態の方法論
pañca-kośa-prakriyā:5つのコーシャの方法論
dṛk-dṛśya-prakriyā:主観と客観の方法論
これらのモデルは、ウパニシャッドでも見られます。
◎チャーンドーギョーパニシャドにある宇宙創造の分析[sṛṣṭi-prakriyā ]
チャーンドーギョーパニシャド第6章にて、聖者ウッダーラカが息子シュヴェタケートゥに説いた教えです。
世界の創造前には、サト・ヴァストゥと呼ばれる、唯一の二元性のないもの[advitīya]だけが存在していました。
これは、他のもの、部分がない全体[pūrṇa]です。
ウッダーラカは、このサト・ヴァストゥが、世界の根源であると説きました。
サト・ヴァストゥから、3つのエレメントが創造されました。
1つ目が、色・形という属性を持つ具現化された要素[mūrta-bhūta]である火、2つ目が水、3つ目が土です。
色・形のない空間と風を省略する目的は、創造された世界(結果)は、その原因であるサト・ヴァストゥから離れて、それ自身の独立した存在を持たないことを(土と壺の関係のように)示すためです。
サト・ヴァストゥは、マーヤーの力[śakti]をもって、この世界の姿で現れており、サト・ヴァストゥ自身は変化していません。
ここでブランマンは、ウパーダーナ・カーラナと言われますが、それはマーヤーの観点です。
ブランマンが自ら変化することなく、マーヤーの力[śakti]によって世界として現象化する独特の立場[vivarta-upādāna-kāraṇa]を表現しています。
●vivarta-upādānakāraṇa
世界という結果に対し、実質的に変化することなく、その基盤・材料として見せかけの移り変わり[vivarta]を引き起こしている原因、これはまさしくブランマンの特質を表す言葉です。
ブランマンが「材料」を与えるのではなく、あたかも与えるかのように見える「実在の基盤」であることを示しています。
最後にウッダーラカは、そのサト・ヴァストゥがアートマーだと結論づけます。
肉体、思考、感覚も、他の全ては創造物ですが、アートマーは創造されていないものです。
創造された宇宙が、名前と形[nāma-rūpa]にすぎないミッテャーであるのに対し、そのサト・ヴァストゥこそがアートマーです。
ですから、あなたがそれです[tat tvam asi]。
◎マーンドゥーキャ・ウパニシャッドにある体験の3つの状態の分析[avasthātraya-prakriyā]
マンドゥーキヤ・ウパニシャッドは、体験の3つの状態の分析していて、オームの音[om-kāra]が過去・現在・未来の全てを表すと説いています。
オームを構成する「A」が起きている世界、感覚器官を使い、物理的な外の世界と関わり、経験している個人。
「U」が夢の世界。物理的ではなく、考えで認識し、経験している個人。
「M」が、熟睡している世界、物理的にも心理的にも、何も認識できず、「自分は誰であるか」という観念がない状態を体験している個人を表しています。
アートマーは、これらの3つの状態のどれでもなく、またそれらと離れた別のものでもありません。
アートマーは、これら全ての状態を否定した後に残る、あるがままの意識、他の全てのものがそれに質を与えています。
例)アートマーは、映画館のスクリーンのようなものです。スクリーン自体は何の色も形も持たない、不動の基盤で、そこに映し出される映画のストーリーは、変化しますが、スクリーンに「質を与えている」ようです。
このアートマーの本質がチャトゥルタと呼ばれ、それは、起きている人、夢を見ている人、寝ている人でもありません。
4番目として考えられるものが、真のアートマーであり、それが知られなければならない[caturtham manyate sa ātmā sa vijñeyaḥ]と述べます。
アートマーは、これら3つの状態全てであり、且つそれらから自立し、どんな変化も受けず、3つの状態の中にあります。
◎タイティリーヤウパニシャッドの中にある、自分自身の体験の5つのレヴェルの分析[pañcakośa-prakriyā]
肉体[anna-rasa-maya]からはじまる、それらは覆い隠すもの[kośa]です。
なぜなら、誰もがそれをアートマーであると思いますから。
それは、食べられた食べ物のエッセンス[anna-rasa]から生まれ、食べ物が消化吸収された後の姿が、アンナ・ラサ・マヤなのです。
mayaṭという接尾語は、変化[vikāra]を意味しますから、アンナ・ラサ・マヤは、食べ物のエッセンスが変化した物です。
私たちは普通、この体がアートマーであると結論付けていますから、聖典は、もっと内側に、微細な他のアートマーがあると教えます。
シュルティは、生理機能[prāṇamaya]、流動的な考えの機能[manomaya]、行い手観念[vijñānamaya]、幸せを感じる考え[ānandamaya]に導きます。
私たちが体験する幸せの程度が異なるのは、それを映し出す心の枠組み[vṛtti]の質に差があるためです。
喜びは、「望ましいものを見る[priya]」、「それを所有する[moda](モーダ [moda])」、「それを楽しむ[pramoda] 」という3つの段階で体験されますが、この全ての幸せの根源にあるのは、アーナンダです。
このアーナンダこそが、ブランマンであり、同時にアートマーの本質です。
◎スルシュティ・プラックリヤーの一部としての、タンマートラ・プラックリヤー
この詩でクリシュナは、タンマートラ・プラックリヤーを使います。
タンマートラは、粗大な世界[sthūra-prapañca]が生まれる前の、微細なエレメントですから、組み合わさっていません。
クリシュナは五つのエレメント(土、水、火、風、空間)を、通常とは逆の順番、土から始まる順番で並べているのは、アルジュナがすでにそこにある創造された世界を見て質問しているからです。
これらのタンマートラに加え「マナス、ブッディ、アハンカーラ」が挙げられますが、これら3つは全て創造物ですから、原因レヴェルから考察されねばなりません。
クリシュナ神は全ての原因を示したいので、一番の原因であるものが最後に述べられています。
シャンカラ・アーチャリヤの解説に基づき、それぞれの言葉は以下のように別の要素を示しています。
●マナス:個の足りないセンスから、揺れ動く感情・気分[manas]が現れるので、ここでマナスはアハンカーラ[ahaṁkāra]を指す。
●ブッディ:宇宙の知性[mahat-tattva]がブッディという言葉で示される。マーヤーに潜む全プンニャ・パーパを使い超知的にこの宇宙を実らせている。
●アハンカーラ:個の観念[ahaṁkāra]の原因、すなわちプンニャ・
これらの3つと、5つの微細なエレメント(タンマートラ)を合わせた8つの側面が、この全ジャガットの原因レベルにおける真の姿です。
ブランマンは変化を受けないため、全ての変化を請け負うのは、このウパーダーナ・カーラナであり、それは、変化を受ける物[pariṇāmi]と見なされます。
ブランマンは、サッテャム ニャーナム アナンタム ブランマとして、いかなる変化も請け負いませんが、マーヤーの視点からのみ、変化する原因[pariṇāmi-kāraṇa]として機能し、自身の視点からは、変化を受けない原因[vivarta-upādāna-kāraṇa] です。
●変化する原因[pariṇāmi-upādāna-kāraṇa](例)ミルクがヨーグルトへと実際に質を変えるように、原因自体が結果へと実質的に変化。
●変化を受けない原因[vivarta-upādāna-kāraṇa](例)暗闇でロープを蛇と見誤るように、原因自体は不変のまま、見せかけ上(まるで)現れる。
全宇宙創造にとって、このマーヤー・シャクティそのものが、この8つの側面の原因です。
この8つの側面の現れの中で、「私」から離れた別の物ではないこのマーヤー・シャクティが、全ての原因なのです。
マーヤーは、神と並び立つような、もうひとつのリアリティではなく、神自身のパワー[śakti]です。
そして、8つの側面の現れの中で、それは創造宇宙のプラクルティとなり、これが、低いプラクルティ[aparā prakṛti]と呼ばれます。
一方、高いプラクルティ[parā prakṛti]は、アートマーの本質[svarūpa]です。
