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ギーターヨーガ

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【ギーター】第7章5番目の詩

अपरेयमितस्त्वन्यां प्रकृतिं विद्धि मे पराम् ।

जीवभूतां महाबाहो ययेदं धार्यते जगत् ॥७.५॥

apareyamitastvanyāṃ prakṛtiṃ viddhi me parām |

jīvabhūtāṃ mahābāho yayedaṃ dhāryate jagat ||7.5||

ああ、力強い人(アルジュナよ)。これが、低いほうです。ところが、それとは別に、私の高いプラクルティを理解しなさい。そしてそれが個人の本質であり、それによって、この世界が支えられています。

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◎ここまでに言われてきた事は、アパラー (スヴァバーヴァ) ・プラクルティ

アパラー・プラクルティとは、体・思考・感覚器官を作り出す、創造された全ての原因である低いプラクルティです。

それは限定的な存在[jīva]を生み出すことで、人間にドゥッカやサムサーラの束縛をもたらす「望ましくないもの[anarthaka]」だとシャンカラは定義します。

◎私の真の姿[parā-prakṛti

高いプラクルティ[parā-prakṛti]は、先のアパラーとは対照的に位置づけられる、私の真の本質[svarūpa]を指します。

シャンカラによれば、このパラー・プラクルティは極めて純粋で[viśuddha]、外界の何ものにも触れられることがありません。

もう一方の束縛するものに対し、最も優れた[utkṛṣṭa]プラクルティを知ることは、人をその束縛から解き放ち、自由をもたらします。

◎私の真の姿はあなたです

クリシュナは、個々[jīva]として現れているものの真の本質は、自分自身(神)と同じであると説いています。

私たちは体や考えを持った存在として生きていますが、その源は「サト・チト・アートマー」であり、それはプラクルティの変化に影響されません。

ここでは、「知られる対象」と「知る主体」に分けて説明しています。

●場所[kṣetra]: 身体、感覚、記憶、知性、考え、さらには「私が行い手」というエゴまで、すべて対象物です。

※日常的な意味では、田畑や放牧地(Field)を指す。

何かが生まれ、育ち、収穫される場所というニュアンスを含む。

●知る人[kṣetra-jña]: 上記のすべてを認識し、光を当てて輝かせている純粋な意識のことです。

この「クシェットラ・ニャ」は、特定の誰かの中にだけあるのではありません。

クリシュナは、「すべての」身体・心・感覚の複合体の中に留まっている唯一の存在が、アートマーであると述べています。

これは物質的な自然aprā-prakṛtiの一部ではなく、それらを超越した不変の本質なのです。

◎私の真の姿[prā-prakṛti]が、全てを支えています

アパラー・プラクルティは、五大元素(土・水・火・風・空)、アハンカーラ、ブッディ、マナスからなる物質的な世界です。

これらは変化するものであり、アートマーは含まれません。

パラー・プラクルティは、物質世界を支える根本的な原理であり、実際それがジーヴァでありアートマーです。

これは不変の本質、全世界を支える「本当の姿」、全ての原因です。

クリシュナは、アパラー・プラクルティよりも、本質であるパラー・プラクルティこそが最も優れたものであり、それ以外の何ものも存在しないという真実を理解しなさいと言います。