千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第2章1~4番目の詩

सञ्जय उवाच

तं तथा कृपयाविष्टमश्रुपूर्णाकुलेक्षणम् ।

विषीदन्तमिदं वाक्यमुवाच मधुसूदनः ॥२.१॥

sañjaya uvāca

taṃ tathā kṛpayāviṣṭamaśrupūrṇākulekṣaṇam |

viṣīdantamidaṃ vākyamuvāca madhusūdanaḥ ||2.1||

サンジャヤが言いました。

同情の気持ちに圧倒されて、苦痛で涙をいっぱいためた目をして悲しむ彼に(アルジュナに)

クリシュナはこのような言葉を話しました。 [2-1]

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マドゥスーダナという名前 マドゥという言葉はエゴを表します。

エゴ自体は問題はなく、問題のあるエゴは、うぬぼれ、思い上がり、卑下、卑屈などの主観的(価値を上乗せした)エゴです。

そのエゴ[アハンカーラ]を破壊する者を知ることで アハンカーラが破壊されます。

主観的なものの見方から、より客観的、知的なものの見方になります。

客観的に、知的に世界を見るという意味は、世界をあるがままに知るということです。

今、私達がバガヴァッド・ギーターの言葉を道具として「わたしとは何か」「世界とは何か」を分析することが、世界をあるがままに知るということです。

考えが知的に成長すればする程、バガヴァーンという生きた宇宙の姿が見えてきます。

そのバガヴァーンがマドゥスーダナと呼ばれます。

アルジュナは、哀れみ、同情、愛情に 圧倒されている様に描写されていますが、 ここには哀れみ以上のものがあります。

スヴァダルマ(すべきこと)における混乱がありました。

アルジュナの戦うべき理由は、皆から期待されていること、王子として国を守る義務であり、アータターイーを征伐することでした。

[アータターイー]
1.人の国を奪う
2.人の財産を奪う
3.人の奥さんを奪う
4.放火
5.毒殺
6.武器を持たない人を後ろから襲うこと

戦わない理由は、先生や祖父に弓を向けること、ダルマを破壊する原因になることで、取り返しのつかない社会の混乱を招くことでした。

この2つ(ダルマとアダルマ)の間で混乱していました。 

考えがある程度成熟した人であれば、ヴェーダーンタのヴィジョン「わたしとは何か?」を知らないのであれば、ダルマは相対的であるゆえに必ず行き詰ります。

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श्रीभगवान् उवाच ।

कुतस्त्वा कश्मलमिदं विषमे समुपस्थितम् ।

अनार्यजुष्टमस्वर्ग्यमकीर्तिकरमर्जुन ॥२.२॥

śrībhagavān uvāca |

kutastvā kaśmalamidaṃ viṣame samupasthitam |

anāryajuṣṭamasvargyamakīrtikaramarjuna ||2.2||

シュリー バガヴァーンが言いました。

この重大な事態に、どこから、あなたにその絶望感が起こるのですか?

まったくそれは正義の人のすることではないし、あなたの輝かしい名声を上げるものでもありません。

そして、人を天国へ導くような行いでもないのです。[2-2]

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アルジュナは、戦略を練り、勇敢に振る舞い、 嘆いている場合ではなく、クリシュナは、何故そんな考えになるのか尋ねます。

・すべき事をする人[アーリヤ]に相応しくない[アン-アーリヤ・ジュシュタ]

・天国に続く道ではない[アスヴァルギャ]

・信用、名声を失う[アキールティカラ]

と、アルジュナの失望を表す 3つの言葉を述べました。 

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क्लैब्यं मा स्म गमः पार्थ नैतत्त्वय्युपपद्यते ।

क्षुद्रं हृदयदौर्बल्यं त्यक्त्वोत्तिष्ठ परन्तप ॥२.३॥

klaibyaṃ mā sma gamaḥ pārtha naitattvayyupapadyate |

kṣudraṃ hṛdayadaurbalyaṃ tyaktvottiṣṭha parantapa ||2.3||

ああ、パールタよ、敵を滅ぼす者よ。女々しくしないで。

それは、あなたにはふさわしくありません。

卑しく弱虫な心をあきらめて、立ち上がりなさい[2-3]

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クリシュナはアルジュナを 子供じみている場合ではないという意味を込め プルターの息子[パールタ]と呼び 「女々しさ[クライッヴャ]をやめなさい。」と言いました。

また「逃げ出すな!立ち上がれ!」 敵を倒す人[パランタパ]と言いました。

すべき事をすること 心構えを変えることは ヨーガであり得ます。

行いがヨーガになるとは、アルタ・カーマの追求ではなく、自分が安心で、喜びであるというモークシャというゴールの為に考えを成熟させる生き方です。

ヨーガは辛い生き方ではなく、ご機嫌な生き方です。

社会のこと、自分のこと、この宇宙の成り立ちを理解することで、考えが成熟し、道具として扱えるようになります。

クリシュナの忠告は、アルジュナへの批判ではなく、アルジュナを悲しみへと導く独特な考えと、その考えを今変えるべきであるということを理解させるためでした。

自分自身を苦しめる習性としてある考え(行いをし、手に入れて叶えようとし、結局行いをし続ける考え)を、「わたしと幸せの意味はイコールであること」を知る生き方にシフトすべきだということです。

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अर्जुन उवाच ।

कथं भीष्ममहं सङ्ख्ये द्रोणं च मधुसूदन ।

इषुभिः प्रतियोत्स्यामि पूजार्हावरिसूदन ॥२.४॥

arjuna uvāca |

kathaṃ bhīṣmamahaṃ saṅkhye droṇaṃ ca madhusūdana |

iṣubhiḥ pratiyotsyāmi pūjārhāvarisūdana ||2.4||

アルジュナが言いました。

敵を滅ぼす者よ、悪者マドゥを滅ぼす者(クリシュナ)よ。

尊敬するに値するビーシュマやドローナに矢を放ち、この戦場でどのように戦うというのでしょう[2-4]

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悪者を滅ぼす者[マドゥスーダナ] 敵を滅ぼす者[アリスーダナ] アルジュナはクリシュナをそう呼びました。

あなたが倒したのは、敵や悪者ですが プージャーに値するビーシュマ、ドローナ先生に 私は、弓など向けられません。

成熟した人は同情的になり得ます。

アルジュナの混乱は、成熟した人の混乱でした。

クリシュナの言葉がアルジュナの自己プロセスを助けました。

アルジュナは、自分の考えの中ではもう解決できないことを悟り、聖典に教えを求めることになります。

ヴェーダーンタは成熟していない人には働きません。

ダルマを無視し、アルタ・カーマを追求するドゥルヨーダナはヴェーダーンタを求めません。

アルジュナは、ダルマ・アダルマでは解決できない問題を、根本的に解決するヴェーダーンタを学ぶべき人でした。