千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第2章4番目の詩

अर्जुन उवाच ।

कथं भीष्ममहं सङ्ख्ये द्रोणं च मधुसूदन ।

इषुभिः प्रतियोत्स्यामि पूजार्हावरिसूदन ॥२.४॥

arjuna uvāca |

kathaṃ bhīṣmamahaṃ saṅkhye droṇaṃ ca madhusūdana |

iṣubhiḥ pratiyotsyāmi pūjārhāvarisūdana ||2.4||

アルジュナが言いました。

敵を滅ぼす者よ、悪者マドゥを滅ぼす者(クリシュナ)よ。

尊敬するに値するビーシュマやドローナに矢を放ち、この戦場でどのように戦うというのでしょう[2-4]

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アルジュナは、自身の苦しみをクリシュナに理解してもらえないと感じ、改めて状況を説明しました。

問題は、戦うこと自体ではなく、深く尊敬する人物、特にビーシュマとドローナという師と戦うことにあると強調します。

彼は、クリシュナを悪魔を倒す者[madhusūdana]」、敵を滅ぼすもの[arisūdana]と呼びました。

クリシュナが悪魔や敵を倒したのに対し、自分は尊敬すべき師に矢を向けなければならないという、その場の不条理さを対比させました。

武器の代わりにプージャーに値する師[pūjārha]を倒す者(グルスーダナ)として知られたくないと述べました。

アルジュナは、ドゥルヨーダナを倒すという名目で、ダルマを生き、次世代に伝えるべき師や親族を滅ぼすことは、本質的なダルマの破壊につながり、この戦争がダルマを守らない結果を招くと考えました。

◎ドリシュタ・パラ(直接目に見える結果):
戦争に勝ったとしても、尊敬する人々を滅ぼしたという思いと共に生きるため、現世での幸福(世俗的な幸せ)は得られない。

◎アドリシュタ・パラ(目に見えない結果):
一族全体のダルマを滅ぼすことは罪深い行為であり、死後も天国[suvarga]へは行けない。

アルジュナの行動は、思いやりの心(同情心)と「ダルマはダルマを生きる人[dharmi]を守ることによってのみ守られる」というダルマの原則に基づくものでした。

彼の混乱は、勇敢で成熟した人物の葛藤であり、この成熟した混乱こそが、後にクリシュナが説くヴェーダーンタ(ギーター)の教えが始まるのです。

クリシュナの言葉が彼の自己プロセスを助け、自分の考えの中ではもう解決できないことを悟り、聖典に教えを求めることになります。

ヴェーダーンタは成熟していない人には働きません。

ダルマを無視し、アルタ・カーマを追求するドゥルヨーダナはヴェーダーンタを求めません。

アルジュナは、ダルマ・アダルマでは解決できない問題を、根本的に解決するヴェーダーンタを学ぶべき人でした。

そして彼は、師であるドローナやビーシュマを倒す矢を放つくらいなら、施しで生きる方がましだと結論付けます。