न हि प्रपश्यामि ममापनुद्याद् यच्छोकमुच्छोषणमिन्द्रियाणाम् ।
अवाप्य भूमावसपत्नमृद्धं राज्यं सुराणामपि चाधिपत्यम् ॥२.८॥
na hi prapaśyāmi mama apanudyād yat śokam ucchoṣaṇam indriyāṇām |
avāpya bhūmau asapatnam ṛddhaṃ rājyaṃ surāṇām api ādhipatyam||2.8||
たとえ無敵の王国を持ち 天界の神々の統括者に君臨しても
感覚も枯れ朽ちる この悲しみを取り除くことはできない[2-8]
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アルジュナは、自身の深い悲しみが感覚器官の機能を奪い、腕や脚のエネルギーを完全に吸い取って萎縮させたように感じていると言い、この悲しみは、クリシュナから戦うよう命じられても消え去るものではないと内省しました。
◎和らぐことのない悲しみ
ノーベル賞を受賞した学者でさえ、全知ではないゆえに、私は取るに足らないというセンスはあります。
人は根本的に「私はこういう人(限界がある人)」という結論があるのです。
そうでなければ、個人の体を持って生まれてきません。
既に根底に「問題がある」ので、寂しい人が寂しくなり、 嫉妬の人が嫉妬し、 悲しい人が悲しくなります。
根底の悲しみ[śoka]は時々現れ、現われてない時は隠れたままあります。
悲しみの現れる合間に喜びがあり、喜びを求め没頭するなら、隠れたままの悲しみを忘れることができます。
悲しみとは、その人と同一のもののようです。
アルジュナは、無敵の王国を手に入れる事、天界の統治者になることですら、この悲しみを和らげないと言いました。
繁栄すればライバルが現れ、貧しければダルマを守るのが難しくなり、真の幸せは得られません。
アルジュナは自身の問題が、外的な状況(戦争の是非や王国の有無)ではなく、内面的な悲しみと理解不足にあることを深く自覚し、その解決をクリシュナに委ねたのです。
